弘南鉄道90年の軌跡

 

2017/10/8 日曜日

 

  1927年、津軽南地域と弘前市を結ぶ住民待望の鉄道が開業した。弘前―津軽尾上駅間(現在の弘南線一部区間)のわずか11キロだったという鉄路は、その後、弘前―黒石、弘前―大鰐をそれぞれ結ぶ路線へと拡大・発展。以来、通勤、通学の足として地域住民に親しまれている。弘南鉄道(本社平川市、船越弘造代表取締役社長)は今年、開業90周年を迎えた。交通手段の多様化などで、旅客数はピーク時の3割ほどまで落ち込んだが、地域交通の要としての役割は変わることなく、時代の変化に対応しようと挑み続けている。

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「地域の足」担い続け=上

 

弘前―津軽尾上駅間を運行した弘南鉄道の第1号蒸気機関車(弘南鉄道提供)
1975年、東北初の快速列車が弘南線を走り、通勤、通学に大きく寄与した(弘南鉄道提供)

 弘南鉄道が設立に向けて動き始めたのは大正時代のこと。当時、津軽南地方は奥羽本線と国鉄黒石線が稼働していたが、平賀地方を結ぶ路線はなく、人や物資の輸送には苦労が伴い、地域発展の大きな壁となっていたという。そのため、旧大光寺村(現在の平川市)の菊地武憲氏(後の初代社長)が、大川亮氏(後の監査役)の勧めもあって鉄道敷設を掲げて動き出した。
 1926年3月に同社が設立すると、資金調達、買収交渉、鉄道省からの払い下げなどの難関を克服。約1年5カ月の歳月を経て27年9月、住民待望の鉄道が開業し、夢の蒸気機関車が平賀地方と弘前市をつないだ。当時は同間約11キロを1日6往復し、地方産業の発展に大きく寄与。戦時中は経営が危ぶまれることもあったが、地域輸送の役割を果たし続けた。
 車両の電化への転換が始まったのは太平洋戦争終結から1年足らずの46年、各鉄道が石炭不足に悩まされる時代。同鉄道も石炭確保に不安があり、現在の黒石市まで延長工事を行うと同時に、弘前―津軽尾上間の電化を進める方針を打ち出した。実現したのは48年7月、16トン電気機関車2輌、約13キロにわたって架線類が設置され、本県で初めての電化となった。その後、延長工事が終わり50年7月に弘南黒石駅(現在の黒石駅)が営業を開始。現在の黒石市と弘前市を結ぶ弘南線が開業となった。
 電化、延長工事が完成後は設備面の強化へと取り組むことに。サービスも強化し、55年には弘前駅構内に弘南出札所を設け、旅客手・小荷物を取り扱うようになった。59年、車両留置線の完成に伴って車両運転回数が24往復から32往復と大幅に増加。2度の電車線昇圧もこの頃に行われ、速度上昇へとつながっていく。
 70年10月、同鉄道は経営難に陥っていた弘前電気鉄道(49年7月設立、70年10月解散)から経営権を譲り受けることとなった。これを期に弘前電気鉄道は弘南鉄道大鰐線として新発足し、大鰐駅―中央弘前駅間が開業した。容易なことではなかったが、利用客や鉄道としての使命、地域発展などを考慮して買収を決意したという。
 弘南線は単線自動信号装置が71年9月までに一部区間を除いて完成。これを受けて4年後の75年11月、東北地方初の快速列車が披露され、多くの関心を集めた。81年10月からは大鰐線でも快速列車が運用されるなど利便性向上を図っている。また黒石―弘前間では米・リンゴの輸送業務も開業初期から84年の廃止まで行い、地域経済を支えた。

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存続へ取り組み一丸=下・完

2017/10/9 月曜日

 

開業から90周年を迎えた弘南鉄道弘南線。旅客数減少など課題も多いが沿線住民の足として欠かせない存在となっている

 弘南、大鰐両線で、多くの沿線住民を運んできた弘南鉄道。弘南線は1967年度に約500万人、大鰐線は74年度に約390万人を輸送し、ピークを迎えた。しかし自家用車の普及、少子化などのあおりを受け、旅客数は次第に下降。同鉄道は苦境に立たされた。それでも高齢化の進展などを背景に、公共交通の必要性は見直されてきており、同鉄道をめぐっても沿線自治体などが存続のための支援に動き出すなど、地域社会を支える鉄道の維持存続に向けた取り組みが進められている。
 弘南線の旅客数はピークの67年度から徐々に下降し、昭和から平成へ変わった89年度前後にピーク時の約半数、2016年度は約131万人と3割以下となった。大鰐線も97年度前後にピーク時の半数を割り、16年度は約46万5000人と1割程度にまで落ち込んだ。
 同鉄道は減少の原因について、「少子高齢化が進み、さらに車社会化が押し寄せたことで鉄道利用者が減った」と分析する。両線とも旅客数の半分以上は通勤・通学などの定期利用者。通勤だけでなく、子どもを送迎するために親が車を使うなど、社会の変化に影響を受けやすいという。現在はない同鉄道黒石線(84年11月~98年3月)はこうした旅客数減少のあおりを受け、廃線となった。
 13年には大鰐線廃止案も浮上し、関係者に衝撃が走った。弘前市が存続に向けた支援を表明し、同線存続のための利活用策や支援の在り方を考える「弘南鉄道大鰐線存続戦略協議会」が沿線自治体などにより組織された。
 協議会は、自発的な利用を促すモビリティ・マネジメント(MM)を推進。中学生向けにリーフレットを配布したり、高校生に関しては保護者対象のアンケートなどを通じて、車送迎からの転換を促そうとしている。
 企画切符の発行なども展開。その一つが、医療機関から帰る際の大鰐線復路運賃が無料となる「通院あんしんパス」15年12月から始め今年3月末までに約4400人が利用するなど好評を博した4月からは同線復路運賃が100円となり医療機関だけでなく温水プール石川の施設利用も対象とした「あんしんパス+100」にリニューアルされたが、同鉄道によると、こちらも多くの人が活用しているという。
 同鉄道は10年5月から、大鰐線で自転車を無料で持ち込める「大鰐線サイクルトレイン」を企画。4~11月限定だが、16年度は260人の利用実績があり、13年度の4倍以上となった。同線と弘南線共通の1日フリー乗車券「大黒様キップ」も利用者が増えている。
 こうした取り組みの成果もあってか、近年の旅客数は両線ともほぼ横ばいで推移している。
 利用者減少に直面している同鉄道だが、存続を求める沿線住民の声は少なくない。平川市に住む小山康介さん(44)は「会社が駅に近いので、数年前に車から電車に変えた。できることなら使い続けたい」と話す。
 8代目となる船越弘造社長は取材に対し、「今後、18年から4年間に高校生の激減が予想されているが、高齢者が自動車運転免許を返納することで公共交通利用の流れも見込まれる」と指摘しつつ、「時代がいかに変わろうと経営難であろうと、これからも公共交通機関としての社会的使命を果たし、地域発展の寄与に努めていく」と決意を語った。
 課題に向き合い続けながらも、社訓の「われら鉄道マンなれ」を胸に刻み、弘南鉄道は100周年、さらにその先を目指していく。

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