決戦'17衆院選

 

3区・上=4

2017/10/5 木曜日

 

党県連青年局の街頭演説に参加し、地元藤崎町で初めてマイクを握った木村氏=9月25日

 「補選なら弔い合戦で勝利できるが、解散総選挙で新3区になる。勝ち方によって津軽の政治の動きが変わる」「浮動票はどこへ行くか分からない」―。
 衆院解散前日の9月27日夕。新党「希望の党」結成の動きが報じられる中、弘前市内で開かれた自民党新人の木村次郎氏の後援会設立決起集会で、支援する弘前市議たちは口々に危機感をあらわにし、支持者らに結束を呼び掛けた。
 陣営幹部は「もはや弔い選挙ではなく木村次郎の“新人戦”だ。歴戦の太郎代議士には届かずとも圧勝を目指したい」と力を込め、別の幹部は「“さすが木村のおんじ”と言われる得票数で国政に送り込みたい」と決意をにじませる。
 旧4区に盤石な支持基盤を築き、衆院選で連続7期当選を果たした木村太郎氏が52歳の若さで急逝したのは7月25日。突然の訃報は関係者に大きな衝撃を与えた。
 一方で急逝直後から関係者が頭を悩ませたのが後継者選びだ。「陣営が一つにまとまれる候補」として真っ先に名前が上がったのが弟の次郎氏だった。
 木村氏の陣営の後援会幹部は8月6日に会合を持ち、太郎氏が築いた地盤を引き継げるのは次郎氏しかいない―との意見で一致、出馬要請に動いた。祖父の代から続く政治家の家系に生まれた次郎氏に対し、これまでも政界進出を期待する声があったが、表舞台に出ることは決してなかった。
 木村派の重鎮・阿部広悦県議は、政治の道の厳しさを知る次郎氏の母親から「次郎だけは政治の道に引っ張り込まないで」と、かつて頼まれたと明かす。今回も、当初は次郎氏の出馬に反対したとされる。
 「(太郎氏の)遺影の前で何度も自問自答した」という次郎氏。黙って見守ってきた元知事の父守男氏に、自らの決意を真っ先に伝えたとされる。守男氏は「(兄が)志半ばで逝ったことに思いすれば、自分が」と、次郎氏が仏間で涙を流しながら語った様子を明かした。県職員を辞めて出馬を表明したのは、補選投開票日まで2カ月を切った9月1日だった。
 同16日の事務所開きで、太郎氏の後援会連合会長を務めた鳴海広道氏は、次郎氏の選対本部長として「必勝、いや圧勝を目指す」と宣言。この直後から選挙区における各地域の後援会設立・決起集会が始まり、陣営がスタートの場所に選んだのは木村派のお膝元・南郡だった。
 「太郎さんの時は西郡から会合を始めたが、親父(おやじ)(守男氏)の時代は選挙区の要が南郡」と、同行した阿部県議。「原点に帰った選挙戦に徹する」と強調した。
  支持者結束を図りながら急ピッチで組織づくりを進める中、政局が急展開し衆院解散・総選挙へ。区割り改定による新3区は、守男氏の衆院議員時代の地盤だった中選挙区2区とほぼ重なる。当時は田沢吉郎元衆院議員、竹内黎一元衆院議員の津軽2大派閥による「田竹時代」と呼ばれた激戦区だった。
 守男氏の時代から木村派を支持する北五地区の議員は「守男さんの時代は本当に熱心な仲間がたくさんいたが、今はかなり世代交代が進んでいる。新しい仲間を獲得しなければ」と指摘する。
 衆院が解散した9月28日、3区に加わった五所川原市で、早速次郎氏を支持する市議団が結成された。同30日、同市で開かれた北五地区合同役員会で成田一憲県議は「太郎先生は本県を代表する政治家になったが、次郎さんは新人。党支部員、市町村長、議員による三位一体の選挙で勝つ」と短期決戦での圧勝を呼び掛けた。
 木村氏の陣営は「あの田竹時代は足を使った選挙戦を展開し支持を獲得した。今もそれは変わらない」と北五地区での地道な活動で支持拡大に奔走する。
 新たな選挙区に足を踏み入れた次郎氏は「小選挙区制後、北五で兄の名を書く選挙はなかった。父の当時の組織が頼りだが、自分なりに拡充して組織強化したい」と決意をにじませ、「一生懸命走って政策信条を訴え、『木村次郎』を1人でも多くの方に知ってもらう」と“木村流”を貫く覚悟だ。

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3区・下=5

2017/10/6 金曜日

 

希望の党公認決定後としては初めて五所川原市内でマイクを握った山内氏=4日

 「立ち位置が明確になったことは一歩前進と考えたい。政治をリセットし、政権交代のある政治を実現するため覚悟を持って臨んでいく」。小池百合子東京都知事が代表を務める新党「希望の党」が3日発表した第1次公認候補に名を連ねた山内崇氏は、心境をこう語った。
 この2カ月余りで山内氏を取り巻く環境は目まぐるしく変化した。旧4区補欠選挙から総選挙へ。民進党が希望へ事実上合流―。衆院が解散された9月28日夜、弘前市で開いた集会で山内氏は古くからの支持者らを前に「サプライズの連続だ」とこぼした。
 衆院本県旧4区選出の自民党現職木村太郎氏が7月25日に急逝したことに伴う補選に、山内氏はいち早く名乗りを上げ、民進公認で準備を進めてきた。昨年の参院選本県選挙区では、安全保障関連法廃止を旗印に民進の田名部匡代氏が共産、社民両党の支援を受けて自民現職候補を破っており、補選でも野党の候補者調整が図られるかが焦点だった。
 「この流れを断ち切りたくない」(田名部定男民進県連代表)、「やらない選択肢はない」(山内氏)。3党の県組織は市民団体の呼び掛けもあり、共闘の実現を模索した。
 この間、民進代表選で共産との連携見直しを掲げた前原誠司氏が勝利し、先行きが不安視されたが、9月14日に弘前市を訪れた前原氏が「相手(自民)が1人でこちら(野党)が1人が一番いい。どういう形でできるか、ベストの形を模索したい」との考えを示したことで、補選での野党共闘は進むかに思われた。
 しかし、安倍晋三首相が突如、衆院解散を決めたことで事態は一変する。補選は本選に吸収され、戦いの舞台は区割り改定により新3区に移ることに。新たに五所川原市、北郡が選挙区に加わった。「戦略うんぬん言える立場にない。皆さんにできるだけお会いして政策を訴える」(山内氏)。旧1区を地盤とする升田世喜男氏の後援会組織に頼る部分は大きい。
 想定外の出来事は続いた。民進では野党連携に不満を持つ議員や、希望へ合流を目指す議員の「離党ドミノ」が止まらず、前原氏は衆院解散の前日の同27日、希望との事実上の合流を決断。同28日の両院議員総会での了承を経て、山内氏らの民進公認は取り消された。公示まで時間のない中で「希望に行くか、無所属で野党共闘を今まで通りやるのか」という「二者択一」を迫られた。
 同30日、田舎館村での街頭演説を終えた後、山内氏は「県連幹事長として野党協議を積み重ねてきた経緯もある。安倍政権を倒すため、希望に合流して二大政党制実現への思いもある」と葛藤する胸の内を明かし、「希望の人気、勢いをどう感じているの」と記者に“逆質問”する場面もあった。
 公示が1週間後に迫った10月2日夜、山内氏は後援会役員を集めた緊急会議を招集し、自身の対応について協議。その後、臨んだ記者会見で「党本部、両院議員総会の決定を尊重する考え方に立った。希望に対して公認申請を進める」との決断を示した。
 くしくもこの日、民進の枝野幸男代表代行が新党「立憲民主党」の結党を表明。新たに第3の選択肢が示された形だが、「さまざまな動きも十分に検討させてもらった。その結果の判断」と述べるにとどめた。
 山内氏が憲法改正や安全保障関連法への賛成を公認条件とする希望を選択したことは、野党共闘の破綻を意味する。
 政治情勢の変化を受け、共産は希望公認候補へ対抗馬を立てる方針で、3区には高柳博明氏を擁立する。当初は自民公認の新人木村次郎氏と山内氏の事実上の一騎打ちが想定されたが、幸福実現党公認の新人三國佑貴氏も含めた4氏による争いの構図となりそうだ。
 野党票が分散して議席を奪取できるのか。山内氏は「もちろん選挙は勝敗が大事だが、もう一度政権交代が可能な状況をつくり出すことがわれわれにとっての大義だ。これに懸ける」と自らに言い聞かせるように話した。
 4日、五所川原市で升田氏と街頭に立った山内氏は「(今回が)ラストチャンス」と口にした。「今の政治をリセットする。政治生命を懸ける」と背水の陣を敷く構えだ。

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