決戦’17衆院選

 

2017/10/2 月曜日

 

  衆院選の公示まで10日を切った。野党再編の動きが日々慌ただしく、戦いの構図が固まらない中、与野党ともに事実上の選挙戦に突入。新たな区割りへの対応もにらみ、県内各地を奔走している。短期決戦に挑む政党、選挙区の動きを追った。

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自 民=1

 

党本部に申請する公認候補の決定を受け、取材に応じる江渡県連会長(左から2人目)ら=9月26日、青森市

 「われわれは国政与党として、責任政党として行動したい。自公連立の強固な組織を生かし、県内くまなく走っていく」衆院が解散した9月28日、自民党県連の神山久志幹事長は来たるべき衆院選に向けた思いを語った。
 急な衆院解散・総選挙。さらには解散前日の27日に、民進党が小池百合子東京都知事主導の新党「希望の党」に事実上合流する話が浮上。県内の選挙の構図も大きく変わる可能性をはらむが、神山幹事長は「こういう(新党の)動きは何回も見てきた。浮き足だっては駄目。党員もかえって固まるのではないか」と冷静に受け止めた。
 ただ警戒感はある。党県連内では連日話題を集める希望の動きに「影響がないとは言えない」という声が多く、ある県議は「未知数だが、無党派層に影響が出てくる可能性がある。有権者の判断材料になるだろう」と懸念。同党と連携する公明党県本部も「新しい党が何かしてくれるかのようなイメージ先行型の選挙は国を危うくする」と一連の野党の動きを批判した。
 一方、希望の党には共産、社民両党が「安倍政権の補完勢力だ」と批判を強め、県内で進んでいた野党共闘は事実上破綻。1日には1区に出馬予定の民進前職升田世喜男氏が希望の公認を得て戦うことを表明した。同じ1区で相対する自民前職津島淳氏は「相手の看板に関係なく厳しい選挙だ」という認識を示したが、希望の動きは自身の選挙戦にも大きな影響を与えるとして今後の動向を注視する構えだ。
 今後は選挙戦に向けた態勢固めが急務となる。そもそも安倍晋三首相が野党の態勢が整っていない―とみて踏み切ったとされる解散総選挙だが、解散が濃厚になった時点で、本県では小選挙区の定数1減による同党の候補者調整が決着しておらず、県連の態勢こそ整っていなかった。
 最終的に解散1週間前の21日、選挙区と比例の候補者を選挙ごとに入れ替える「コスタリカ方式」を1区に導入し、選挙区は1区に津島氏、2区に大島理森氏、3区に木村次郎氏、比例には県連会長の江渡聡徳氏が回ることを事実上決めたが、他党に比べて本格的な活動の展開が遅れていることは否めない。
 陣営内からは「選挙区が変更となるところを軸に、丁寧に一体となって見せていかなければいけない」との声が上がる。県連幹部は「4人の候補がそれぞれ日常やってきたことが地元に受け入れられていることを信じて、自分たちの選挙をやるだけだ」と語った。

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民 進=2

2017/10/3 火曜日

 

希望との合流報道後、情報が錯綜し混乱する民進県連。役員会終了後、田名部代表(右から3人目)は「3人が希望へ行くと期待している」と述べた=1日、青森市内

 「『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』という言葉もあるが、その状況下で一気に政権交代、選択を迫る大きな戦いを仕掛ける。それに私も賛同した」
 民進党の山内崇氏(3区)は2日夜、記者会見で希望の党へ公認申請する意向を表明した。
 前日の1日には1区の升田世喜男氏が、2日には2区の工藤武司氏が同じく希望の公認を得て戦う意向を表明。公示1週間前になってようやく選挙に臨む態勢が固まった。
 希望への合流の流れは突然だった。衆院解散が決まる直前、野党連携に不満を持つ民進の保守系議員らが離脱。代表選では共産党との連携見直しを公言した前原誠司氏が勝利したが「求心力の低下」に歯止めがかからず、希望合流の道筋が示された。「事実上の合流」の一報は解散前日の9月27日。事前に知らされていなかった民進県連内からは「寝耳に水だ」という声が上がり、衝撃が走った。
 その後、両党合流の波は本県にも波及。28日の党本部の常任幹事会と両院議員総会で民進の公認は取り消し、立候補予定者は希望に公認申請を提出するという決議がなされ、県内で民進公認が決まっていた3氏は希望公認か無所属かの選択を迫られることに。
 2日には希望側の安全保障政策や改憲を基にした候補者調整に反発するリベラル系議員の枝野幸男氏が新党「立憲民主党」結成を表明する新たな動きがあり、民進は希望と立憲民主に分裂。選択肢が三つになり、さらに困惑が広がった。
 本県は全国でもまれにみる野党連携の成功県。昨夏の参院選では田名部匡代氏(民進)が共産、社民の協力を得て野党統一候補で出馬、当選した実績がある。県連の田名部定男代表は「その流れを大事にしたい」と、今回の衆院選でも3党間で調整してきたが、希望には2党が難色を示し、野党連携は事実上の中止に。「自民対非自民」の選挙区構図で共産・社民票などの上積みを期待していただけに落胆は大きい。
 民進を支援する連合青森の内村隆志会長は「応援体制が完全になくなるのは大きい」と選挙戦への影響を危惧。ただこれまで二人三脚で歩んできた流れから「候補者がどんな形になっても推薦は投票日まで固定し、最後まで候補者と力を合わせ頑張りたい」とバックアップする構えだ。
 希望入りが今後の選挙戦にどのような影響を与えるかは未知数。田名部代表は「3人がいろいろと考えて出した結果。党県連として候補者3人を支援していく」と話した。

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共産、社民=3

2017/10/4 水曜日

 

衆院選に向け意欲を語る共産党公認の(左から)赤平、奥本、高柳の3氏=6月29日、青森市

 野党候補一本化が事実上破綻し、本県選挙区は独自候補で挑む共産党県委員会。民進党と希望の党の合流をめぐる「踏み絵」で取り沙汰された安全保障・憲法観を争点とし、自民党、希望の反対票を取り込みたい考えだ。社民党県連は独自候補の擁立を見送り、比例票の上積みに向けた活動に徹する。
 野党統一候補が勝利した昨年の参院選と同様、共産党県委は民進党県連、社民党県連と共闘に向け詰めてきた。
 しかし9月26日夜、民進が希望との合流に動く情報を把握。畑中孝之党県委員長は一連の動きに対し「民進党(県連)さんの姿勢は真面目で、敬意を払っていた。苦しい決断だったと思う。今回の事態は残念で悔しい」と胸中を語る。
 だが安全保障関連法容認、憲法改正賛成を示す希望は「安倍政権の補完勢力」とばっさり。翌27日には「これまで進めてきた協議は白紙に戻す」と断言し、週内に予定していた野党協議にも応じなかった。
 共産党県委は6月、1区に赤平勇人、2区に奥本菜保巳、3区に高柳博明の3氏を公認候補に決定。県内の民進党候補予定者が希望入りの意思を示したことで、3氏とも出馬が決定的となった。3氏の当選と合わせ東北60万、本県9万の比例票獲得を目標に掲げ、高橋千鶴子氏ら東北から初の2議席獲得を目指す。
 3氏は政権批判とともに、合流騒動を引き合いに安保関連法と憲法改正への反対姿勢をさらに強める。「いかにこの問題が今の政治の焦点かということを(騒動が)浮き彫りにしている」と畑中氏。注目の争点として訴え、自民や他党との対決軸を鮮明にする。
 社民党県連は、安倍晋三首相の早期解散の決断に加え、解散の意向から公示までの期間が短く、野党連携の行方などを考慮していたことから、独自候補の擁立を断念した。比例票獲得に向け、三上武志代表自ら各地で積極的に街頭活動を行っている。
 参院選に続き野党共闘の実現を働き掛けてきたが、民進党の合流の動きにより協議は中断。齋藤憲雄幹事長は「(県内の民進党候補予定者が)立憲民主党に移るのであれば共闘に向けた協議の余地がある」と期待を寄せていたが、希望の党については「(同党の)政策では乗れない」との認識を示した。
 共産党との連携については要請があれば検討する方針。県内で2万8000の比例票獲得を目標に、街頭宣伝などで掘り起こしに全力を挙げる。

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3区・上=4

2017/10/5 木曜日

 

党県連青年局の街頭演説に参加し、地元藤崎町で初めてマイクを握った木村氏=9月25日

 「補選なら弔い合戦で勝利できるが、解散総選挙で新3区になる。勝ち方によって津軽の政治の動きが変わる」「浮動票はどこへ行くか分からない」―。
 衆院解散前日の9月27日夕。新党「希望の党」結成の動きが報じられる中、弘前市内で開かれた自民党新人の木村次郎氏の後援会設立決起集会で、支援する弘前市議たちは口々に危機感をあらわにし、支持者らに結束を呼び掛けた。
 陣営幹部は「もはや弔い選挙ではなく木村次郎の“新人戦”だ。歴戦の太郎代議士には届かずとも圧勝を目指したい」と力を込め、別の幹部は「“さすが木村のおんじ”と言われる得票数で国政に送り込みたい」と決意をにじませる。
 旧4区に盤石な支持基盤を築き、衆院選で連続7期当選を果たした木村太郎氏が52歳の若さで急逝したのは7月25日。突然の訃報は関係者に大きな衝撃を与えた。
 一方で急逝直後から関係者が頭を悩ませたのが後継者選びだ。「陣営が一つにまとまれる候補」として真っ先に名前が上がったのが弟の次郎氏だった。
 木村氏の陣営の後援会幹部は8月6日に会合を持ち、太郎氏が築いた地盤を引き継げるのは次郎氏しかいない―との意見で一致、出馬要請に動いた。祖父の代から続く政治家の家系に生まれた次郎氏に対し、これまでも政界進出を期待する声があったが、表舞台に出ることは決してなかった。
 木村派の重鎮・阿部広悦県議は、政治の道の厳しさを知る次郎氏の母親から「次郎だけは政治の道に引っ張り込まないで」と、かつて頼まれたと明かす。今回も、当初は次郎氏の出馬に反対したとされる。
 「(太郎氏の)遺影の前で何度も自問自答した」という次郎氏。黙って見守ってきた元知事の父守男氏に、自らの決意を真っ先に伝えたとされる。守男氏は「(兄が)志半ばで逝ったことに思いすれば、自分が」と、次郎氏が仏間で涙を流しながら語った様子を明かした。県職員を辞めて出馬を表明したのは、補選投開票日まで2カ月を切った9月1日だった。
 同16日の事務所開きで、太郎氏の後援会連合会長を務めた鳴海広道氏は、次郎氏の選対本部長として「必勝、いや圧勝を目指す」と宣言。この直後から選挙区における各地域の後援会設立・決起集会が始まり、陣営がスタートの場所に選んだのは木村派のお膝元・南郡だった。
 「太郎さんの時は西郡から会合を始めたが、親父(おやじ)(守男氏)の時代は選挙区の要が南郡」と、同行した阿部県議。「原点に帰った選挙戦に徹する」と強調した。
  支持者結束を図りながら急ピッチで組織づくりを進める中、政局が急展開し衆院解散・総選挙へ。区割り改定による新3区は、守男氏の衆院議員時代の地盤だった中選挙区2区とほぼ重なる。当時は田沢吉郎元衆院議員、竹内黎一元衆院議員の津軽2大派閥による「田竹時代」と呼ばれた激戦区だった。
 守男氏の時代から木村派を支持する北五地区の議員は「守男さんの時代は本当に熱心な仲間がたくさんいたが、今はかなり世代交代が進んでいる。新しい仲間を獲得しなければ」と指摘する。
 衆院が解散した9月28日、3区に加わった五所川原市で、早速次郎氏を支持する市議団が結成された。同30日、同市で開かれた北五地区合同役員会で成田一憲県議は「太郎先生は本県を代表する政治家になったが、次郎さんは新人。党支部員、市町村長、議員による三位一体の選挙で勝つ」と短期決戦での圧勝を呼び掛けた。
 木村氏の陣営は「あの田竹時代は足を使った選挙戦を展開し支持を獲得した。今もそれは変わらない」と北五地区での地道な活動で支持拡大に奔走する。
 新たな選挙区に足を踏み入れた次郎氏は「小選挙区制後、北五で兄の名を書く選挙はなかった。父の当時の組織が頼りだが、自分なりに拡充して組織強化したい」と決意をにじませ、「一生懸命走って政策信条を訴え、『木村次郎』を1人でも多くの方に知ってもらう」と“木村流”を貫く覚悟だ。

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