絵はがきと古写真で見る 櫻と弘前公園

 

追手門附近の変遷=16

2017/5/5 金曜日

 

 追手門そばの堀は、名残りの花筏でも知られる撮影スポットになっています。でも、一枚目の絵葉書を見ても、外堀に桜は植えられていなかったのですねぇ。
 明治四十一年(一九〇八)四月の新聞記事の『朝の公園』は、大手門を入れば古松が風を呼んで、西側の火薬庫の土居にはフキノトウの蕾が萌え出でるが、東側の兵器支敞の田打ち桜の芽は、まだ硬いといい、桜のコメントはないのです。
 また、かつて第八師団長官舎が建てられていた市役所本館の向かいの堀端は、桜がなくて、昭和三十六年(一九六一)に植えられました。ですから、旧公会堂前と比べると、太さが違っていますよ。
 二枚目の「総天然色」という雰囲気は、まったく自然じゃないけど、このように見えて欲しいという願望の表れですな。
 史跡標柱が建てられていないし、堀端も未整備。三の丸に図書館もバレーコートもなさそう。車止めもないし、土居にシダレ桜も植えられていないなら、いったい何時ころになるんでしょうかねぇ?
 堀端に、時計付きの看板が立てられたり、大型の園内案内図が設置されたりするのですが、この基本情報がないから、時期を特定できないでいます。
 観桜会の一世紀に合わせて、公園の移り変わりや、まちや人々の暮らしのことも、キチンと知りたいもんですねっ!

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三の丸南側の変遷=17

2017/5/6 土曜日

 

 

 明治四十四年(一九一一)四月の新聞には、「大日本武徳殿青森縣支部演武場」と長い名前で紹介されています。
 開設当時の武徳殿に関する映像では、このほかに建物正面と、北側から敷地を撮影したのが知られているのです。
 旧藩時代には、四代藩主信政公の生母が住まいした御殿がありましたが、後に米倉が建ち並ぶ場所に変わりました。
 冠木門の両側に土居を巡らし、チョイと厳めしさを感じさせるここが、桜の開花を判断する標準木エリアなのです。
 この写真の中ほどを左手に曲がると、本丸へと渡る鷹丘橋が見えてきますが、その古写真が二枚目です。
 橋には欄干もなく、質素に素木で仕上げられており、本丸に平屋の店がみえるほか、端の右手が若木の桜なのでしょうから、大正時代の始めころかなぁ?
 左手には、内堀を距てて南内門を臨むことができる、なかなか凝った構図なので、別の種類の手彩色もあるほどです。
 また鷹丘橋自体も人気の撮影スポットで、館神跡や、その反対側から数多くの写真があり、見比べると、チョット不思議な感じがするのです。実は、むかしの鷹丘橋はもっと本丸側が高かったのか、内北ノ郭側が嵩上げされたのか、もっと急勾配に見えるのですがねぇ。
 公園の不思議が、ここにもあります。

 

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標準木のある内北の廓=18

2017/5/7 日曜日

 

 

 

 明治四十四年(一九一一)四月の新聞には、「大日本武徳殿青森縣支部演武場」と長い名前で紹介されています。
 開設当時の武徳殿に関する映像では、このほかに建物正面と、北側から敷地を撮影したのが知られているのです。
 旧藩時代には、四代藩主信政公の生母が住まいした御殿がありましたが、後に米倉が建ち並ぶ場所に変わりました。
 冠木門の両側に土居を巡らし、チョイと厳めしさを感じさせるここが、桜の開花を判断する標準木エリアなのです。
 この写真の中ほどを左手に曲がると、本丸へと渡る鷹丘橋が見えてきますが、その古写真が二枚目です。
 橋には欄干もなく、質素に素木で仕上げられており、本丸に平屋の店がみえるほか、端の右手が若木の桜なのでしょうから、大正時代の始めころかなぁ?
 左手には、内堀を距てて南内門を臨むことができる、なかなか凝った構図なので、別の種類の手彩色もあるほどです。
 また鷹丘橋自体も人気の撮影スポットで、館神跡や、その反対側から数多くの写真があり、見比べると、チョット不思議な感じがするのです。実は、むかしの鷹丘橋はもっと本丸側が高かったのか、内北ノ郭側が嵩上げされたのか、もっと急勾配に見えるのですがねぇ。
 公園の不思議が、ここにもあります。

 
※詳しくは本紙紙面をご覧ください。

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本丸でのお花見=19

2017/5/10 水曜日

 

 昨今では、企業の慰労会が行われているものか、よくわかりません。しかし、かつては花見に出掛けるのも、新聞記事になったものでした。
 観桜会が始まった翌年、大正八年(一九一九)八月に開業した、陸奥製糸株式会社。社長の福島藤助は、弘前商工会、弘前電燈株式会社、福島醸造など多方面に大活躍で、これらはすべてが観桜会に直接関係したものばかり。
 やがて大正十四年(一九二五)には、「陸奥製糸觀櫻會」「製糸場假装行列」などの見出しで紹介され、これを見物に出掛ける花見客も多かったはずですね。
 なおこの写真は、観桜会だけでなく、官立弘高開校式などでも人気を博した、高橋写真館の撮影なんですねぇ。
 お次は昭和三十二年(一九五七)ころの本丸光景。右手の丸太で組んだ仮設に張り巡らされた「吉野櫻」の幕の中が、公設の予約席、『団体接待場』でした。
 主なお客さんは、秋田や北海道からの企業や学校の団体さんで、まずは車座で座れる場所を確保できますよ、の趣向。
 すぐ脇には、家族連れや仲間同士での花見客が、持ち込んだ料理で宴会を開き、三味線を持った芸人も流しております。
 天守の窓が開いていますが、「弘前城史料館」として、郷土史ゆかりの品々が展示され、大人の入場料が三十円かな。

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