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追手門そばの堀は、名残りの花筏でも知られる撮影スポットになっています。でも、一枚目の絵葉書を見ても、外堀に桜は植えられていなかったのですねぇ。
明治四十一年(一九〇八)四月の新聞記事の『朝の公園』は、大手門を入れば古松が風を呼んで、西側の火薬庫の土居にはフキノトウの蕾が萌え出でるが、東側の兵器支敞の田打ち桜の芽は、まだ硬いといい、桜のコメントはないのです。
また、かつて第八師団長官舎が建てられていた市役所本館の向かいの堀端は、桜がなくて、昭和三十六年(一九六一)に植えられました。ですから、旧公会堂前と比べると、太さが違っていますよ。
二枚目の「総天然色」という雰囲気は、まったく自然じゃないけど、このように見えて欲しいという願望の表れですな。
史跡標柱が建てられていないし、堀端も未整備。三の丸に図書館もバレーコートもなさそう。車止めもないし、土居にシダレ桜も植えられていないなら、いったい何時ころになるんでしょうかねぇ?
堀端に、時計付きの看板が立てられたり、大型の園内案内図が設置されたりするのですが、この基本情報がないから、時期を特定できないでいます。
観桜会の一世紀に合わせて、公園の移り変わりや、まちや人々の暮らしのことも、キチンと知りたいもんですねっ!