絵はがきと古写真で見る 櫻と弘前公園

 

児童公園の変遷=12

2017/5/1 月曜日

 

 公園の中で、変化が少ないと思われるのが、丑寅櫓そばの児童公園。絵葉書の丹頂鶴はいませんが、築山には珍しく、二宮尊徳翁の少年像が立っています。
 かつて学校に作られた理由は、寸暇を惜しんで勉強する姿の大切さのほかに、メートル法を体感するため、像の大きさを一メートルにしたなんて話もあります。
 でもこの初代の像は、昭和一〇年(一九三五)四月に、弘前商工會が「公園二の丸小庭園」整備として寄附の唐金製。その高さはなんと七尺、二倍もデカイ。南側から撮影した映像しか知らなかったので、この絵葉書には驚きましたよ。
 昭和三十四年(一九五九)に、緑化計画で池は埋め立てられ、噴水なども姿を消しました。これが大石武学流で知られる外崎寅吉が、想い出に残る庭として語っている当時の姿なのです。なお、築山の東に、当時の銘板だけが残っています。
 もう一枚は、昭和二十八年(一九五三)ころ、北側から南西を撮影したものです。お父さんたちは背広にネクタイ、ご婦人方は髪を結い上げ、子どもらは一張羅の洋服、帽子でおめかし。こりゃ帰りに、写真館で記念撮影しなくっちゃ!当時の写真館では、天守と桜を描いた背景紙を用意して、お客を待ち構えていました。
 園内各所に設置されたベンチなどは、「人研ぎ」という、左官職人の得意技。

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出店風景の変遷=13

2017/5/2 火曜日

 

 いまでもニュースになるのが、観桜会の出店の受付開始。桜の剪定枝の配布に続き、まつり開始も直ぐそこって感じ。
 子どものころ、花よりも出店が楽しみで、貯金箱のマッコを数え直したもの。
 一枚目は東内門番所前で、正面に進むと北の廓の興行街。右の松はないけど、遠望の松には名残があり、いまは右側にオオヤマザクラや生垣がありましょう。
 出店の場所が固定していた方が、目当てのお店に辿り着けると、ここは佐久間製菓お馴染みの場所であったようです。
 左の出店は、映画『火垂るの墓』にも登場の、懐かしいサクマ式ドロップス!子どもたちの服装も、特徴がありますね。
 お次は、本丸の出店の写真。まだ夜間照明灯の鉄塔が残り、ツツジの植栽ないので、園路の整備が始まっていない昭和三十四年(一九五九)以前でしょう。
 キリリと捲いたタオルが似合う、くわえタバコのおっさんが店主かなぁ。何を販売しているのか、「東洋食糧工業株式会社」のビスケットとは思えないのですが、お父さんは興味がありそう。
 紳士諸兄は厚手のオーバーに帽子で、ご婦人は髪を編み込んだり、しっかりとコテを当てたばかり髪型に、羽織を着ての和装。女の子はおかっぱ頭で、男の子は坊主頭というのが、当時の出で立ち。
 なんとも穏やかな日本の春ですねぇ。

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桜のトンネル以前=14

2017/5/3 水曜日

 

 公園の中でも、時代の変遷が整理されていないのが、西濠や二階堰のこと。
 追手門前や本丸・下乗橋附近と異なり、チョイと目立たないというか、馬屋町の旧埋門から園内に入る人は、多くなかったのでしょう。このために、映像資料も少なく、撮影時期もハッキリしません。
 一枚目は南側から「花のトンネル」を眺めたもので、左端から西濠、二階堰、養魚場跡から蓮池の順だと思うのです。
 ここに桜が植えられたのは、明治三十六年(一九〇三)四月、内山覚弥が寄附した百本だといわれていますが、西濠も二階堰も、桜は西側に植えられ、東寄りは古い松並木なんですねぇ。それでも、桜は大きく枝を広げ、天守や城門が国宝に指定された昭和十二年(一九三七)の記念絵葉書附属の花見順路図に、「花のトンネル」が記載されていますよっ。
 お次は、『弘前名勝 美人絵葉書』と銘打った絵葉書で、場所はもう少し北に進んだあたりでしょうねぇ。
 二階堰の岸は、まったく手が付けられない自然のままで、せせらぎの音が聞こえてくるような趣きも感じさせます。
 西の廓へ桜の植栽を拡充させたのは、内山が鍛治町出身との縁で寄附を申し出た、福士忠吉のお陰。昭和二十九年(一九五四)から三年ほどで、千五百本もの植樹をした逸話は、語り継ぎたいですね。

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蓮のないハス池=15

2017/5/4 木曜日

 

 かつては辰巳櫓の下にも、ハスが咲き誇ったから、本丸西側の池だけの専売特許じゃない。しかし、馴染んだ名前なので、こう呼ばせていただきましょうよ。
 でもここですら、ザリガニの食害で全滅しかけたのですから、公園の整備に日々の苦労が尽きないのです。
 一枚目の絵葉書は、南側から護国神社方向を眺めたものですが、右の本丸側の土手は、チョット盛り過ぎかと思えるくらいに、ピンク一色に仕上げています。
 紅白の幕を飾った池の端の料理屋からは、さぞ見事な景色だったでしょうね。また北側の杉木立も、高く色濃く聳えていて、静寂な深山の趣きだったかも。
 二枚目は「弘前名所」の名で、昭和三年(一九二八)ころ、弘前市役所や髙橋写真館が発行人となったもの。もっともこの頃は、売れ筋の写真は何度も使用しているので、セット写真でも同一時期の撮影と決められないんだね。
 長坂の途中より、旧天守台下の北西を眺める光景で、左に広がる展望が半端じゃぁない。更に、満々と水を湛えているように感じるのは、右の汀線と岸に段差がなく、奥に伸びるからでしょうか。
 そして、蓮池の西側土手は、背の高い松並木ばかりが目立って、不思議なことに、満開であろう桜はないのかなぁ。
 チョイと謎っぽい絵葉書でしょ。

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