絵はがきと古写真で見る 櫻と弘前公園

 

変化する本丸の光景=4

2017/4/23 日曜日

 

 弘前公園で、明治時代以降に植えられた桜の古い木は、東内門の番屋そばとか、公園緑地課脇だといわれています。
 まずは本丸一帯に桜を植えて、ぱぁ~と華やかにしよう!と思いがちですが、旧城の威容を損なわないように、先人はいろいろと配慮をしたのでしょうね。
 一枚目は、観桜会が始まる前年、大正六年の新聞に掲載されている写真に、手彩色した絵葉書です。中央に明治四十二年(一九〇九)九月に除幕式を終えた、藩祖津軽為信公の銅像。左端は大正四年(一九一五)一〇月に建立の鷹揚園碑で、間に夜間照明のアーク灯が立ちます。
 本丸の北東や南西隅の桜は、枝を大きく延ばしていますが、園路の整備はなく、銅像東側の桜はまだお若いご様子。
 二枚目の絵葉書で、中央の鉄塔に先に見える四角なものは、スピーカーかな?
 すでに、昭和二年(一九二七)の観桜会で、「無料の活動やラヂオ」が、お客を呼び寄せたといいますからねぇ。
 本丸中央の桜は、傍の松に互して見事に花を咲かせていますから、桜の枝を折る不心得者もいなかったのでしょう。
 左のコンクリート製の柵は、二の丸にも設置され、柵木が木材から鉄に変えられるのは、昭和七年(一九三二)の工事から。そして、左官業組合のご奉仕による、モルタル製擬木に変わりました。

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旧制弘高生と公園=5

2017/4/24 月曜日

 

 官立高等学校の番号でいえば、第十六高等学校に全国から俊英が集い、ここで青春の一時期を過ごした想い出に、必ず登場するのが観桜会。校章の入った特製アルバムに、大切に貼られています。
 官立弘高の開校式は、大正一〇年(一九二一)四月でしたから、すでに観桜会も回を重ね、桜花も市民も彼らを歓迎しました。たとえば園内でのストームも、寮旗を掲げての行進も、風物詩のように受け入れ、まちも人も大らかでした。
 一枚目は昭和八年(一九三三)卒業の方々の花見というか、一升瓶を持って出掛けた、夜桜記念写真なんですねぇ。
 撮影場所で多いのが、やはり下乗橋と本丸中央の津軽為信銅像前。昭和十二年(一九三七)前後に入学した方のものにも、「万朶の櫻は今を盛りと咲き誇る。見よ!若人のこの顔(ツラ)を」「日本一の櫻がよく見えるわい。ドウゾウよく撮ってくれ」とコメントが載ります。
 そして本丸南側の石垣での写真には、「サアー撮してくれ、おゝ!鷹揚園の櫻は我等の為に爛漫と咲き香る」と。
 我が世の春を謳歌した、往時の旧制高校や女学校の仮装行列でも復活したら、こりゃぁ是非とも見に行きたいねぇ。
 旧天守台から東に続く石垣で、何度か積み直しがされ、最期の工事は昭和五十三年(一九七八)に行われました。

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