絵はがきと古写真で見る 櫻と弘前公園

 

移り変わる演芸場=8

2017/4/27 木曜日

 

 桜を眺めて、静かに花の香や風情を味わう…なんてことは、まぁしないよぉ。座り込んで呑まないにしても、三味線や囃子が聞こえれば、自然と人が集まる。
 美人連の踊りを披露しましょうっと、最初の観桜会から、余興場と呼んだ舞台が、もう東内門の北側に設けられた。
 最初の一枚は、上の横断幕にその名も「サクラビール」の舞台風景。この光景は、大正九年(一九二〇)の新聞に掲載されていますが、会社は昭和十八年(一九四三)、大日本麦酒に合併しちゃう。
 数種類の絵葉書を見ても、「てをどり」など、芸妓が艶やかさを競っています。
 余興場が、護国神社脇の現在地に移転したのは、昭和三十三年(一九五八)で、予算は三十五万円、舞台は二十坪。当初の野外ステージが、表札を見れば演芸館で、演舞場って呼んでいたらしいぞぉ。
 民謡なども披露されましたが、やはり人気の演目は変わりませんよねぇ。
 舞台右袖には、「弘前相互銀行」の幕ですが、左側が何か覚えています?答えは「かくは宮川」で、ここの会社広告は、この二社が名実ともに大看板でした。
 でも、横断幕はいろいろと変化があって、お菓子メーカーだったり、栄養ドリンクの製薬会社とかの写真があります。
 そういえば、野球場跡の市民広場にも特設舞台が設けられましたっけ。

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お出掛けの服装=9

2017/4/28 金曜日

 

 むかしは日常的に行動範囲が狭く、出掛ける機会も少なかったので、観桜会という津軽地域最大のお祭りに行くときには、そりゃぁ力が入ったことでしょう。
 大正七年(一九一八)四月のかくはの広告に、「春の御花見衣裳もパラソルも充分に取揃申候」というのがあります。
 絵葉書を見ていると、なるほど色とりどりのパラソルを開いて、園内をそぞろ歩く姿が見受けられますねぇ。印半纏を粋に引っかけ、赤いパラソルのご婦人と並ぶご両人、「よっ、お似合いですよ」。
 ちょいと傾け、憂いありげに顔を隠してみたり、きっと大活躍の小道具しょっ。
 もう一枚は、こんなもてなしをされたら、嬉しいしビックリするよという話。
 戦後復興期の昭和二十五年(一九五〇)に、外貨獲得に向け外国人観光客を招致しようと、初の「新日本観光地百選」の人気投票が全国規模で開催。弘前は「都邑」の部門で十三位だったそうです。
 これに刺激を受けたのか、「日本観光地九選 東北名所 鷹揚城」と染め抜いた前垂れも見事ですが、名前入りの半纏は、本当に欲しいと思いますよっ!
 サチコさんは、チョット戸惑いの表情かも知れませんが、お三人は満足けで、土産の「着せ替えセット」を抱えます。
 やはり名入れの品というのは、インパクトが違いますねぇ、本当に驚きです。

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スリや迷子にご注意=10

2017/4/29 土曜日

 

 新聞のコラムで目を引く「スリにご注意」の記事。六〇人ほどの在県A級スリの半数が、花見客の懐を狙って押し寄せるのだとか。昭和四〇年代には女スリが混じる集団もいて、県警の応援を得た専従捜査班が、園内などを警戒しました。
 カモになる人が、そんなに沢山いたのかとも思いますが、一枚目の人出を見れば、納得できそうな気がしませんか?
 こりゃぁ花を観るより、人を見る感じ。
 追手門に劣らず、北門前も大混雑で、玩具の出店に混じって、帽子の販売も。北の廓側に、まずはズラリと地酒の看板が、津軽は酒どころよっと、お出迎え。
 これじゃ、子どもと手を繋いでも離れちゃう。興行街や下乗橋前で、はぐれる子が多く、迷子預かりに出向く羽目に。
 大書で「迷子」の文字が目立ちますが、その場所は下乗橋前、観桜会事務所向かいの「迷子取扱所」なのね。日赤県支部や高校生の奉仕団が、むかしから汗だくの応対に追われておりました。
 それにしても、為信銅像の台座に腰を掛けたご婦人方は、膝に乳飲み子を抱えたり、みなさんお疲れのご様子です。
 きっと津軽のオドらは、カフェや食堂にでも入って、気炎をあげたり、くだを巻いているのかなぁ…消防団の姿があるのは、観桜会の併催行事で恒例の、連合消防演習でもあったのかもね。

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西濠の舟遊び=11

2017/4/30 日曜日

 

 弘前公園に出かける楽しみに、西濠のボートという想い出、ありませんかね?
 青森や八戸と異なり、身近に舟を見かけることもないので、あのボートは格別。
 西濠でいつから営業を始めたか、ちゃんと調べたことがないのですが、昭和二年(一九二七)に『進水式を行つた西濠の遊覧船』の記事がありましたなぁ。
 当初の乗り場は、春陽橋のたもとで、手漕ぎのボートのほか、船頭が操る屋形船風の大型も。こりゃ飲食は無理でしょうが、家族連れや芸者衆を引き連れて…なんて向きには、大層人気があったはず。六艘で始まった舟遊びは、夜十二時まで営業したそうで、この絵葉書は昭和一〇年(一九三五)ころと新聞にみえます。
 その屋根の上にまで乗り込んだ、総勢二〇人ほどのやんちゃな官立弘前高等学校生たち。でも、船頭もカメラ目線で、さほど驚くようすも見えないし、写真屋は手慣れた感じで、シャッターを切る。
 しかし、どこで、どうやって登ったんだろうとかが気になりますが、こりゃぁ恒例ってなもんで、名物船頭さんのサービスだったなんて情報はありませんか。
 この卒業アルバムの一枚は、安齋校長の写真も、前任の校長として収録されているので、昭和十二年(一九三七)前後に入学された方でしょうか。
 若き青春の日、って感じですね!

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