絵はがきと古写真で見る 櫻と弘前公園

 

旧制弘高生と公園=5

2017/4/24 月曜日

 

 官立高等学校の番号でいえば、第十六高等学校に全国から俊英が集い、ここで青春の一時期を過ごした想い出に、必ず登場するのが観桜会。校章の入った特製アルバムに、大切に貼られています。
 官立弘高の開校式は、大正一〇年(一九二一)四月でしたから、すでに観桜会も回を重ね、桜花も市民も彼らを歓迎しました。たとえば園内でのストームも、寮旗を掲げての行進も、風物詩のように受け入れ、まちも人も大らかでした。
 一枚目は昭和八年(一九三三)卒業の方々の花見というか、一升瓶を持って出掛けた、夜桜記念写真なんですねぇ。
 撮影場所で多いのが、やはり下乗橋と本丸中央の津軽為信銅像前。昭和十二年(一九三七)前後に入学した方のものにも、「万朶の櫻は今を盛りと咲き誇る。見よ!若人のこの顔(ツラ)を」「日本一の櫻がよく見えるわい。ドウゾウよく撮ってくれ」とコメントが載ります。
 そして本丸南側の石垣での写真には、「サアー撮してくれ、おゝ!鷹揚園の櫻は我等の為に爛漫と咲き香る」と。
 我が世の春を謳歌した、往時の旧制高校や女学校の仮装行列でも復活したら、こりゃぁ是非とも見に行きたいねぇ。
 旧天守台から東に続く石垣で、何度か積み直しがされ、最期の工事は昭和五十三年(一九七八)に行われました。

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桜見物の醍醐味は=6

2017/4/25 火曜日

 

 大正四年(一九一五)に、本県で唯一特別陸軍大演習が開催され、全国にその名を知らしめた弘前公園。桜も見ごろを迎えたし、商工会が視察した観桜会の先進地 秋田の千秋公園では、日本石油のトーチに芸者衆の手踊りでお客を魅了。
 夜桜・芸者・酒の三拍子が揃えば儲かると、急速に機運が高まります。
 大正七年(一九一八)、第一回目の観桜会と同時に、師団設置二十年将校招待会、六県酒造業大会、六県電気業大会なども続々に開催されたので、各種業界の力の入れ方も半端じゃなかったのねぇ。
 例年の電燈以外に、百六十円余を投じた装飾燈を設置し、『櫻花と相俟つて言語に絶する美観を呈する』はずだって。
 当初は天守にイルミネーションを設置する予定だったけど、その威容を損なう恐れがあるというので、投光器に変更。
 でも数年も経ずに、イルミネーションは、追手門や南内門にも設置されちゃった。
 また、観桜会の催事で人気を博したのが広告祭や、仮装大会というもので、各町会や企業がこぞって参加しました。
 今回は照明にちなみ、油やロウソクの時代から、いろいろと形の変わった電球まで、照明器具の移り変わりを表現した一枚も紹介しておきましましょ。

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北の廓の小屋掛け興行=7

2017/4/26 水曜日

 

 サーカスやオートバイの曲乗り、お化け屋敷など、いまも小屋掛け興行は、妖しげな魅力に溢れておりましょう。
 ここで問題、昭和四十七年(一九七二)を最期に姿を消した興行はナニかなぁ?
 戦後に登場して新風俗の典型、「鬼っ子」と評されながらも、生き抜いてきたのは、こんな、大人の娯楽でありまするぅ。
 英語の下に仮名を書いた「新自由主義の水中美人ショー」って、どんなモノなんでしょうか。更に「モラル エジュケーション」、精神教育・道徳教育の意味なのでしょうけど、謎は深まるばかり。
判読しがたいながら、入口の看板が「性欲…」と見えて、コワイ気がします。
 もう一枚は昭和四〇年(一九六五)の「くろふね館」。店名だけでは、興行の内容が不詳でも、横文字を読めば…ね。
 おぼろげな記憶で申せば、「河童天国」なんてのが、おそらく最期の興行だったのでしょうか。某酒造メーカーのキャラクター似で、ほのぼのとした河童の看板が印象的でしたねぇ。
 しかし、家族揃って出掛けたときに、前を通るのが気がひけるし、教育上好ましくないという声から、園外追放処分。
 写真や招待券などでしか知らないのですが、戦前なら「平井女角力一行」とか「原田サーカス團」が興行していましたし、戦後の闘犬も人気を博しました。

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移り変わる演芸場=8

2017/4/27 木曜日

 

 桜を眺めて、静かに花の香や風情を味わう…なんてことは、まぁしないよぉ。座り込んで呑まないにしても、三味線や囃子が聞こえれば、自然と人が集まる。
 美人連の踊りを披露しましょうっと、最初の観桜会から、余興場と呼んだ舞台が、もう東内門の北側に設けられた。
 最初の一枚は、上の横断幕にその名も「サクラビール」の舞台風景。この光景は、大正九年(一九二〇)の新聞に掲載されていますが、会社は昭和十八年(一九四三)、大日本麦酒に合併しちゃう。
 数種類の絵葉書を見ても、「てをどり」など、芸妓が艶やかさを競っています。
 余興場が、護国神社脇の現在地に移転したのは、昭和三十三年(一九五八)で、予算は三十五万円、舞台は二十坪。当初の野外ステージが、表札を見れば演芸館で、演舞場って呼んでいたらしいぞぉ。
 民謡なども披露されましたが、やはり人気の演目は変わりませんよねぇ。
 舞台右袖には、「弘前相互銀行」の幕ですが、左側が何か覚えています?答えは「かくは宮川」で、ここの会社広告は、この二社が名実ともに大看板でした。
 でも、横断幕はいろいろと変化があって、お菓子メーカーだったり、栄養ドリンクの製薬会社とかの写真があります。
 そういえば、野球場跡の市民広場にも特設舞台が設けられましたっけ。

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お出掛けの服装=9

2017/4/28 金曜日

 

 むかしは日常的に行動範囲が狭く、出掛ける機会も少なかったので、観桜会という津軽地域最大のお祭りに行くときには、そりゃぁ力が入ったことでしょう。
 大正七年(一九一八)四月のかくはの広告に、「春の御花見衣裳もパラソルも充分に取揃申候」というのがあります。
 絵葉書を見ていると、なるほど色とりどりのパラソルを開いて、園内をそぞろ歩く姿が見受けられますねぇ。印半纏を粋に引っかけ、赤いパラソルのご婦人と並ぶご両人、「よっ、お似合いですよ」。
 ちょいと傾け、憂いありげに顔を隠してみたり、きっと大活躍の小道具しょっ。
 もう一枚は、こんなもてなしをされたら、嬉しいしビックリするよという話。
 戦後復興期の昭和二十五年(一九五〇)に、外貨獲得に向け外国人観光客を招致しようと、初の「新日本観光地百選」の人気投票が全国規模で開催。弘前は「都邑」の部門で十三位だったそうです。
 これに刺激を受けたのか、「日本観光地九選 東北名所 鷹揚城」と染め抜いた前垂れも見事ですが、名前入りの半纏は、本当に欲しいと思いますよっ!
 サチコさんは、チョット戸惑いの表情かも知れませんが、お三人は満足けで、土産の「着せ替えセット」を抱えます。
 やはり名入れの品というのは、インパクトが違いますねぇ、本当に驚きです。

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