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芸能生活40周年を迎えた歌手川中美幸さんの新曲「津軽さくら物語」が22日、弘前さくらまつり100年を控える絶好のタイミングでリリースされる。平川市のこども園あらや園長斎藤千恵子さんが他界した親友への思いを込めた歌詞に、むつ市出身のシンガーソングライター板橋かずゆきさんが曲を付けたもので、大物歌手がCD化するという大きすぎる夢の実現には「亡き親友が導いてくれた」(斎藤さん)と思わせる奇跡のような物語があった。(以下文中敬称略)
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2007年5月に道の駅いなかだてで桜の植樹を行った須藤詩子さん(右から2人目、遺族提供) |
斎藤には保育園長、声優、劇団代表―と多彩に活躍するアクティブな印象があるが、20年近く前に心労が重なって弘前市内の医院に入院したことがある。後ろ向きになりがちだった斎藤を親身になって励ましたのが、婦長の須藤詩子だった。
須藤はボランティア団体「桜舞くらぶ田舎館」代表として田舎館村の道の駅で桜の植樹活動を続けていた。優しい看護師姿と地域活動に励む姿から、斎藤は「ナイチンゲールのような人」と尊敬。次第に信頼を深め、互いの活動を応援するようになっていった。
ところが2007年12月ごろから突然、須藤と連絡が取れなくなった。年末に須藤からの電話で、すい臓がんで入院していると聞かされ、すぐに見舞いに行った斎藤。須藤から「悪い所を全部取ったから大丈夫」と聞いたのに加え、退院後の08年春も植樹を行ったことを知り安心した。
斎藤への手紙に「健康を祈って植樹した。桜を植えることは、命を植えるのと同じと聞いたことがある」という内容がしたためられていた。元気だった06年、須藤は本紙取材に「植樹を通じて、子どもたちに命の大切さを学んでもらいたい」と話している。どちらも看護師として尽くしてきた人らしい言葉だ。
植樹の約3カ月後、須藤は他界した。最後に植えた桜に、自身の命を託したと考えることもできるが、斎藤の見解は違う。子どものことを心配し、死ねないという気持ちが大きかったのを知っていたからだ。桜と一緒に生き続けようと病魔と闘った姿が、斎藤の頭を離れなかった。