続々俗々 まちネタ散歩!陸奥新報

 

多様な産品の地場産業=7

2016/9/25 日曜日

 

「前進する地場産業」の「蝶の壁掛け」の回
「前進する地場産業」の「とう製品」

 地域に根ざした特色ある産業を『前進する地場産業』として特集を掲載したのは、もう五十年以上前のこと。実に大変な慧眼であって、風見鶏的なものにならないのがお見事。
 取り上げられた産品を列記すれば、こぎん・づぐり・ねぷた・あけび・こけし・下川原焼き・津軽塗・凧絵というのはお馴染みね。
 そんな中で、蝶の壁掛けなんて、ご存じでした?私は商品の記憶もないのですよぉ~
 製作したのは、黒石市に所在の「みちのく工芸社」。クジャク蝶を捕まえて『展翅(てんし)板に張り付けて形を整え、これをタイルや皿にのせ、その上に時計皿を接着剤でおすという技術』だと。
 ほかの種類の蝶では変色するというので、量産化が困難で、年間三百個ほどの注文をこなすのが実情だって。
 全国的に類のない、優雅で地域性のある土産品で、幼虫の飼育や加工などの課題を克服したら、主婦の副業にいいんじゃないかと。
 お次は、本県輸出品のホープとして脚光を浴びているものなんですねぇ。輸出が伸びており、『将来本県のドル箱になるもの』と絶賛されたのが、北洋硝子工業会社の「装飾用色ガラス」であります。
 昭和三十一年に装飾用色ガラス玉を試作してみたら、これが注目されてカリフォルニア州などから注文が殺到したので、新案特許を得て生産に本腰。
 『いまではアメリカを始めガラスの本場スイスまで進出』で、『この種の色ガラス玉の製作は世界でも青森工場とアメリカの一社だけ』やら、知らなかったことが満載ねぇ。
 さてさて、子どもの頃には「とう製品」の安楽椅子などがあったものだが、この本場が本県だったとは、これまた驚きであります。
 「とう」はジャワ、スマトラ、ボルネオが産地で、これを輸入して加工しているのが、山形と新潟と、青森の三上とう竹工芸店の三軒だけ。しかも三上さんの下で修業をした人が開業しているというのだから、青森はとう製品の本場という理屈なのでありました。
 製品は、全国の有名デパートはもちろん、海外からも高く評価され、装飾品として愛用いただいているとは、嬉しい話。しかし残念ながら、海外からの注文が多いために、全国のデパートからの注文に応じられない状況。
 弘前産のじゅうたんの話を締めくくりに。
 生産二年目を迎えようとしていたのが、村田商店弘前工場。原料を大阪から仕入れ、関西方面や輸出も順調というから、生活の洋風化に伴って、ハイカラ産業が躍進なのだ!
(元弘前図書館長 宮川慎一郎)

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藤崎のアイ染めの記録=8・完

2016/9/26 月曜日

 

「アイ染め 津軽の民芸」の連載記事
本紙掲載「アイ染め 津軽の民芸」から

 民衆の生活の中から生まれ、用途の合理性と利便性を追求しながらも、心の余裕がある民藝は、大好きです。
 本当によいものは、手間が掛かり、それを生業として生活してゆくためには、価格が自然と高価にならざるを得ないのです。
 残念ながら、経済的に余裕のない身には、真に一流のものを誂えることもできず、されど、まがい物で誤魔化してしまうのも厭。
 『アイ染め 津軽の民芸 藤崎の唐牛さんに聞く』は、貴重な連載だと思うのです。
 なんといっても、冒頭の『藤崎町はかつて津軽のアイの生産地』ということから知らなかったもんねぇ。
 このお宅は、明治三十五、六年ころまではアイ玉を生産していたという。取材当時で、すでに七十歳の奥さんが、自身の嫁入りの着物を見ながら、「七十年寄りになったいま着てまだ地味なくらい」と語るほど、むかしの着物の染めは質素。
 津軽の農家は、自給自足のためにアイ草を植えたが、大量に生産したのが藤崎町。
 唐牛さんによれば、質が悪いと、よい色に染まらないばかりか、変色しやすく、藤崎の土壌は栽培に適した。
 アイ草はお盆ころが収穫期で、しかも短期に作業が集中するので、お盆休みがなかった。
 『盆ニ休メネ藤崎ダバ嫁ニヤルナ、娘カワイソウダデァ』と、嫁入りを嫌ったという逸話も収録しています。
 アイ草は刈り取って乾燥させ、乾いた葉を粉々にしたのがアイの粉。これを発酵させ、餅のように臼で搗いてアイ玉を作る。
 アイ玉を商いにするには、粉の見分けが重要。畑による違いや最初に刈ったものか、二番目のものかなどを瞬時に見極め、うまく発酵させる技が大事。
 明治三十年、弘前にインド産が入ると、変色しやすいものの安価が魅力で流行。続いて三十六年、ドイツから化学染料が輸入。
 唐牛さんが弘前の紺屋に下宿していた三十八年に、関東から来た旅回りの紺屋職人が、新技術を伝えた。
 当時は、六反の厚物の糸染め賃が四円。化学染料を使うと、一円の経費で済み、その後にアイ染めで仕上げたら、見た目は変わらなかったという。こうして繁昌した紺屋は財を成し、同業が秘密を知ったのは、四年も後。
 青森県民芸協会の相馬貞三氏は、唐牛さんが所蔵しているフトンなどを見て『津軽のアイ染めはいままで世間に知られているものにまさるとも劣らない私は津軽のアイ染めをみなおした』と感嘆。
 ホント、実物に会いたくなっちゃうぞぉ!
(元弘前図書館長 宮川慎一郎)

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