福島第1原発は今

 

2016/2/7 日曜日

 

  1月下旬、日本記者クラブの取材団に参加し、廃炉作業が進む福島第1原発、周辺自治体を見て回った。未曾有の事故から間もなく5年。記者が見た現状を2回にわたって伝える。

∆ページの先頭へ

過酷な廃炉現場=上

 

建屋上部のがれきは撤去されたが、鉄骨がむき出しで事故の過酷さを物語る3号機原子炉建屋=1月25日(代表撮影)
防護服、全面マスクの作業員ら。構内では1日6000~7000人が働いている=1月25日(代表撮影)

 「Jヴィレッジ」(福島県楢葉町、広野町)からバスに乗り、走ること約45分。同県大熊町と双葉町にまたがる東京電力福島第1原発の入退域管理棟に到着した。線量計を受け取り、普段着のまま少し歩く。1日6000~7000人が作業に当たる構内。入り口付近の印象は普通の工事現場と変わらなかった。
 構内は地表を削り、アスファルトやモルタルで覆う「フェーシング作業」が進み、線量が低下。東電職員によると、構内の9割が全面マスクが不要になっているという。食堂を備えた大型休憩所も完成し、作業環境は少しずつ改善している。
 構内専用のバスに乗り、免震重要棟に向かう。まず目に飛び込んできたのは、汚染水を貯蔵する巨大なタンク群。約1000基のタンクは、鋼板をボルトでつなぎ合わせた「フランジ型」から、つなぎ目のない「溶接型」への置き換えが進む。
 汚染水対策は昨年、多核種除去装置による高濃度汚染水の浄化処理が一巡。建屋に入る前に地下水をくみ上げる井戸「サブドレン」が稼働し、汚染水の海洋流出を防ぐ「海側遮水壁」も完成した。
 東電担当者は「汚染水のリスクは低減している」としたが、毎日300トン以上の汚染水が発生し、浄化処理後の水の扱いも未定だ。建屋周囲の地中を凍らせて氷の壁を造る「凍土遮水壁」も工事がほぼ終わったが、原子力規制委員会で安全性の議論が続き、稼働のめどは立っていない。
 免震重要棟で防護服、口と鼻を覆う半面マスク、ゴーグルなどを身に着け、原子炉建屋西側の高台に向かった。バスを降りると、わずか70メートル先に1~4号機を見渡すことができる。3号機は建屋上部のがれきが撤去されていたが、壊れた鉄骨がむき出しのまま。原発事故の現場であることを思い知る。東電社員から「線量が高いので戻ります」と促され、数分でバスに戻った。
 2、3号機前を通り掛かると、バス内の線量は毎時約230マイクロシーベルトまで上がった。使用済み核燃料の搬出を終えた4号機近くでバスを降りると、建屋脇にはがれきが残る。依然として線量が高い建屋周辺。少し離れたところでは防護服に全面マスクの作業員が除染作業をしていた。
 「何とか1合目までは行けたのではないか」。第1原発の小野明所長は廃炉作業の進捗(しんちょく)状況を登山に例えた。しかし、1~3号機のプール内には使用済み燃料は残ったままで、炉内に溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の状況もつかめていない。30~40年後とされる廃炉作業。建屋周辺の労働環境は厳しく、ゴールまでの道のりの険しさを感じた。

∆ページの先頭へ

進まない住民帰還=下・完

2016/2/9 火曜日

 

除染廃棄物を詰めた黒い袋で埋め尽くされた富岡町の沿岸部。全町民の避難が続き、町内に生活感は感じられない=1月26日
楢葉町役場敷地内に設けられた仮設商店街「ここなら商店街」。町民の帰還に向けた取り組みは始まったばかりだ=1月26日

 東京電力福島第1原発事故の影響で、全域が避難指示区域となっている福島県富岡町。バスでJR富岡駅周辺を走ったが、除染や建物の解体に当たる作業員が目立つだけで、生活感はまったく感じられない。窓ガラスが割れた商業施設、無人の小中学校や住宅―。5年前から時間が止まったままのようだった。
 駅裏の沿岸部は黒い塊で埋め尽くされていた。除染廃棄物を詰め込んだ黒い保管袋が積み上がった仮置き場は異様な光景だ。富岡町だけでない。周辺の自治体では至る所で黒い袋が目に入る。保管場所の多くは農耕地に設けられていた。
 大熊町では昨年6月に営業を始めた「福島給食センター」を視察した。第1原発から9キロほど離れた居住制限区域にある。東電が廃炉作業に当たる作業員に温かい食事を提供するために建てた施設で、第1原発構内の大型休憩所、新事務棟の食堂に1日2000食を届けている。
 センターの運営会社「福島復興給食センター」は従業員約100人を雇用し、センターでの調理に加え、食堂での配膳作業に当たる。従業員の大半は福島県出身者が占め、広野町など近隣市町村から通っている。福島県産の食材を基本的に使っており、同社の渋谷昌俊社長は「地元雇用、地産地消で風評被害の払拭(ふっしょく)につながれば」と話した。
 昨年9月に全町の避難指示が解除された楢葉町。昨年7月、町役場敷地内に食堂やスーパー、仮設郵便局が入った仮設商店街「ここなら商店街」が営業を始め、今年2月からは県立診療所も開業した。コンビニエンスストアもあり、廃炉作業員や除染作業員でにぎわっている様子だった。
 震災発生当時8042人が居住していたが、1月4日現在で週4日以上滞在している町民は421人と5・7%にとどまる。日本記者クラブとの会見で、松本幸英町長は2017年春を「帰町目標」とした取り組みを説明し、「その時点で町民の5割ぐらいが戻ればいいと思う」との認識を示した。
 「戻る戻らないは、個々人の判断。生活環境を整備し、町民が戻りたいと思う魅力ある施策を続けていくことが重要」と語った松本町長。5年という歳月が流れ、町民は避難先での生活基盤ができつつある。放射線への不安も帰還を妨げる要因だろう。生活を取り戻そうとしている楢葉町に、人口減少という課題に直面する地方の姿が重なった。福島の復興を身近な問題として考え続けなければならないと感じた。

∆ページの先頭へ


当サイトでは一部、Adobe Flash・PDFファイルを使用しております。閲覧にはAdobe Flash Player・Adobe Acrobat Readerが必要です。最新のプラグインはアドビ社のサイトより無料でダウンロード可能です。

  • Adobe Flash Player ダウンロードセンター
  • Adobe - Adobe Reader ダウンロード