「写真でみる弘前の昔と今」の歩兵第三十一聯隊の記事
下白銀町時代の東奥義塾高校
弘前市が発行した陸軍特別大演習を記念した絵葉書

 かつては軍都といわれた場所柄だし、当然ながら軍隊遺蹟のことも収録されています。
 しかし、その登場は『兵舎から引揚者寮へ 軍都への出発・31連隊』と、まだまだ世情を汲んでのスタート。明治三〇年の軍旗祭の写真提供は、富野町にお住まいだった、日本画家の竹森節堂氏ね。
 歩兵第三十一聯隊が駐屯した、いまの桔梗野小学校一帯は、津軽家が所有するりんご園だったとか、日曜随想で披露させていただきましたよねっ。軍隊が勇ましく紹介されるのは、番外編になっての『露軍撃破した八師団 市民は凱旋門建て熱狂』『天皇迎えて大演習 軍都の花やかな思い出』という具合。
 大元帥陛下をお迎えして、陸軍特別大演習がこの地で挙行され
たのは、大正四年の一度だけのこと。七年前の明治四十一年に行啓された東宮殿下が、再び訪れるというので、放置された天守を戻し、下乗橋や蓬莱橋だって架け直したんだよね。
 この回だけには、往時の写真が三枚掲載され、いずれも眼にすることのないもの。私も大演習の記録集で承知でも、オリジナルの写真は見ていませんよ。
 学校の話題も大局を捉えたもので、藩学校の伝統を受け継ぐ私学として、『廃校や焼失なども経験 古い歴史をもつ東奥義塾』と、『窓に格子のある校舎 二回も焼失した一大小』を掲載ですよ。
 『その前身は稽古館といって藩政時代に開校された津軽最古の学校』だから、連載の昭和三十三年から数えると、寛政八年の開校から、百六十一年の由緒。かつては天文台を備えて、和暦も出版したことや、『剣道の名門として知られたが竹刀を持つ手をバットに変えて近代スポーツの花形野球の名門になった』も記憶したいこと。
 明治五年の学制発布以来、寺子屋的なものが継続され、やがては小学校と名乗るようになるが、大成小学校は明治十八年に、蓬莱・知類・敬業の三校が併合して新築校舎となった写真を掲載。火災をまぬがれてきたのは、太鼓だと、名物の紹介。
 このように充実した連載は、やがて『写真でみる弘前市70年 附;津軽の昔と今』として発行されました。
 藤森睿市長の巻頭言は、前にも書いたかなぁ。『市民の方々の積極的なご支援の賜で、いわば“市民の作った記念写真帳”』だと。
 笹森貞二教育長は、『郷土を知ることこそ真の郷土愛であります。この本は生きた郷土の姿をまざまざと写真でみることが出来、その解説も立派』と記す。
 これからも、陸奥新報に期待しますぞぉ!
(前弘前図書館長 宮川慎一郎)