クリエーター

 

りんご娘.プロデューサー 樋川新一さん(弘前)

2008/1/20 日曜日

 

最高の舞台にしようと、リハーサルをチェックする樋川さん(中央)の目は真剣そのもの

昨年12月の「パワーライブ2007」。りんご娘.と豊田児童センター一輪車クラブ「木村組」とのコラボで盛り上げた(長谷川正之さん撮影)

 2000年7月に資金がない状態でスタートした弘前アクターズスクールプロジェクト。本県発のアイドルユニット「りんご娘.」は中国のイベント参加や、10枚目のCD「ダイエット」のリリースなど、活躍の場を広げている。順調な道のりに見えるが、苦労は絶えなかったようだ。
 東京で働いた後、Uターンで弘前へ戻った際に「地方と中央とのギャップ」を痛感。「若い人が楽しむ場がなく、地域に元気がない。なら、若い人が楽しみ、地域にも良い影響を与えられることを」と決断すると、プロデュースの経験もノウハウもないまま「失うものはない」と、数人の仲間と共に、行動力と理想だけで走り始めた。
 当然ながら知名度はなく、当初は「青森に芸能事務所があるわけがないと、“怪しい団体”に見られ、変なうわさも流された」という悔しい思いをした。それを救ったのが陸奥新報など地元メディアで「信用が得られた。一番助けられた」と感謝。自身も「小さなことが失敗につながる」と誤解を招かないよう、慎重に行動するようになった。
 素人であることを逆手に取る。「業界の常識を知らなかったのが逆に良かったのかも」と笑う根っからのプラス思考が力になったようで、「分からないことは、音楽関係の“ドン”にも会いに行った。いろんな人からアドバイスしてもらえた」という。
 アイドルを育ててきたが「人は育てるものではないことに気付いた。育ててやる、では反発する」と、夢を共有する同志というスタンスは崩さない。それは相手が小学生でも、バックダンサーでも変わらない。「対等に意見を言い、それをきちんと聞くことが大事」といい「僕が十代の時、世の中のために何かをしようなんて思わなかった」と、理想を持って、慰問活動などを精力的に展開する「りんご娘.」を尊敬する。
 会社組織「リンゴミュージック」は現在も赤字。しかし「将来は『プロジェクト』を取って弘前アクターズスクールにして、学校で学べないことを学ぶ“気づきの場”に」と語る。青森から日本の農業、地方都市、農村を元気にするという壮大な夢の実現を信じて、本業の樋川車輌社長との二足のわらじという多忙な日々を走り続けている。

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情報誌編集者 宮川克己さん(弘前)

2008/2/3 日曜日

 

売れることより消費者が欲しい情報、TEKUTEKU流メッセージを「最優先すべき」とする宮川さん
創刊から5号を重ねたTEKUTEKU。毎号約1万部を発行し、ほぼ完売している

 年一回発行で5号を重ねた弘前の街歩き情報誌「TEKUTEKU(テクテク)」。毎号1万部前後を発行し、ほぼ完売状態と好調を維持する。これまでの情報誌とは違う視点で読者が欲しい情報を提供し、広告も誌面の一部に位置づけるビジュアル重視の誌面展開など、一貫した姿勢が20―40代の女性層を中心に受け入れられている。
 編集部代表の肩書も本業は弘前下土手町商店街振興組合事務局。出版は未知の世界だったが「インターネットや電波など情報ツールは多いが、消費者が欲しい情報と提供している情報にギャップがあるのでは」という思いが背を押した。
 商店街活性化を目的に、弘前商工会議所事業として補助金を受けてスタート。スタッフはボランティアのリポーター、プロのカメラマン、デザイナー、ライターら。当初はさまざまな要望をプロにぶつけたが、途中でやめた。「要望以上のものを作ってくれる。もちはもち屋」を感じたためで「スタッフの共通認識をつくり、方針から外れないようにすること」に専念し、プロには従来の考えを捨てるよう働き掛けた。これが東北有数のファッション情報発信地だった土手町と同様に“ハイカラ”な誌面を実現したTEKUTEKU流編集につながった。
 無料配布の創刊号は、1万部がすぐなくなるとともに、有料でも継続を望む声が相次いだ。補助金は3年間続くため、自費出版に向けノウハウを蓄積する計画であり、上々の出足と言える。「自費出版に近づけるため、あえて補助金額を減らしながら発行した」という第2号以降も好調で、第4号で初めて補助金なしの出版を成功させた。もちろん慣れない広告集めなど苦労は絶えず、読者の期待というプレッシャーの中で「自己満足では」と悩むこともあったが、創刊号に込めた思いを信じてきた。
 現在は読者の声をまとめながら、第5号を発行する準備を進めている。首都圏販売の要望もあるが「市民のための情報誌。評価が高まれば、自然にそうなるかもしれないが」と、県内と弘前商圏以外への進出は考えていない。「役割が終われば(発行を)やめるべきかも」。いさぎよさもTEKUTEKU流のようだ。

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杜氏 三浦剛史さん、文仁さん兄弟

2008/2/17 日曜日

 

最高の酒を目指し、酒造りに情熱を燃やす三浦兄弟
2人の知力の結晶である日本酒「豊盃」などの商品

 昭和5年(1930年)創業の三浦酒造(弘前市石渡五丁目)で杜氏(とうじ)を務めるのは、この蔵で生まれ育った剛史さん、文仁さん兄弟。二人とも「ごく自然な流れ」で、三浦酒造五代目となる、この仕事に就いたが、最初は「試験的に造ったことはあったが、本当に(商品になる)酒が造れるのだろうか」と不安の方が大きかった。
 三浦酒造でも以前は津軽杜氏や南部杜氏を雇いながら酒造りを続けてきた。しかし造り酒屋の杜氏制度が次第に崩壊しだしたことを感じた父の慧社長が8年ほど前に自社の力だけで酒造に挑戦することを決意。二人に「お前たちでやってみないか」と声を掛けた。これが蔵にとっても、二人にとっても本当の意味での新たな出発点となった。
 「朝は早く、力仕事も多い。3Kどころではない」(文仁さん)という職場だが、消費者に喜んでもらえる良い酒を造りたいという情熱は、その厳しさも忘れさせる。「毎年、米も気候も違う。一番大変なのは生き物を相手にしているということ」と。どんな状況でも的確な対応力を求められるが毎年、新しい挑戦を続けることは楽しみであり、「いい酒ができたね」という客からの言葉が、最高の喜びになる。こうした努力と喜びが「津軽流でも南部流でもない、三浦流」と評される、どっしりとしたコクとキレの良さが売りの「豊盃」を生み出す。
 日本酒離れの深刻さが叫ばれて久しい。文仁さんも「普段着ている人が珍しく感じる和服のようになるのかも」と懸念する一人だ。さらに日本酒のシェアの大部分を宣伝力のある大手が占めるといい「津軽でも小さな酒蔵」(文仁さん)にはさらなる逆風になる。
 厳しい環境の中にはあるが、弘前市内の洋菓子店「デザートショップ」が販売する竹炭入りサブレ「くろかす」は豊盃の酒かすを使用したもので、日本酒に親しみをもってもらうきっかけになればと期待を込めながら「本物を造り続けることで、きっと消費者は分かってくれる」と信じる。
 究極の日本酒とは―の問いに剛史さんは「消費者が決めるもの。しかし、これがおれの最高、と思ってしまえばそれで終わる」と答え、「物づくりにどん欲になり、今まで以上を突き詰めていかなければ」と引き締める。30代の兄弟杜氏の酒が、同世代の消費者に受け入れられているという明るい現状に励まされながら、理想を追い続ける。

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ウェブデザイナー 新山則和さん(弘前)

2008/3/2 日曜日

 

 

 「もっともっと表現方法は進化する。日々増える要求にどう応えるか。そこが面白いところ」と新山さん
 
コスモウィングス(千葉県浦安市)のホームページ。地球温暖化防止対策などを理念に置いた企業であり、グローバル感を出しながらも、あまり堅くならないように表現したという

 日進月歩の技術革新が続くコンピューター業界。それに伴いウェブデザインの可能性も日々広がっており「そこが、この仕事の魅力」と話す。もともとは会社員として紙媒体の仕事を行っていたが、1998年に「紙よりも表現できると思った」と多様性と将来性を感じ、本を買い集めるなど独学で取り組み始め、1年半ほど前にアイワソリューション(弘前市高崎二丁目)内に個人事務所となるWEB事業部「createDante」を設けた。
 これまでに60ほどのホームページ(HP)を手掛け、クライアントも石垣島のミュージシャンら、全国に及ぶ。「きちんと互いに理解できれば、地球の裏側でも問題ない」といい、地理的問題の少なさも、この職業の良さだという。
 いかに目を引くHPにできるかが腕の見せどころ。「単にウェブデザイナーというだけであれば、作るだけでいい。しかし、それだけでは無意味」と力を込める。優れたホームページが必ず人を引き付けるとは限らない。HP自体のクオリティーを高めながら、本サイトに誘導する二次的サイトの開設など、さまざまな工夫を加えていく。
 「クライアントの要望通りに作っても、それが見る側の求めに合っているとも言えない」という難しい面もある。消費者のニーズを把握し、クライアントの希望とのバランスを図るための、状況把握と交渉能力も求められる。さらに「見る側の目が肥えてきており、それを超えることが必要だが、100年後に理解されるようではだめ。良いものを作りたい思いは強く、(横文字職業ながら)職人に近いかも」と笑う。
 紙媒体より可能性があると始めた仕事だが「(手法は)逆に紙に近付いているのかもしれない。きっとデザインの原点は同じ」とも。紙媒体のデザイン性を下地に、双方向性などに優れるウェブの特性を最大限に生かしながら作り上げていくといい、さらに他媒体とを組み合わせるなど、相乗効果を高める新たな手法も探っている。
 HPが完成した時点ですでに新しい技術が開発されているような、時代を追い掛ける世界。新しいことへの挑戦を続けながら、多様化する要望に対応できるよう自分を高める姿勢が、最も大切なことのようだ。

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中国料理人 津島明彦さん(弘前)

2008/3/16 日曜日

 

「進化を続けることが大事」とし「本当に楽しい仕事だよ」と話す津島さん
北京ダックやフカヒレを中心にしたフルコース。多彩な味を楽しめるよう、食材が重複しない工夫も

 「こういうものまで、と思うような食材がある。種類が多く“変な”食材では中国料理に勝る料理はないのでは」と笑う。一個で何十万円もする乾燥アワビをはじめ、多彩な食材を料理できることに「幸せ」を感じる。
 食材探しは宝探しのような楽しさがあるようだ。「日本全国にもたくさん良いものがある。テレビや本など、ちょっとしたところを見逃さないようにしている。今はメジャーではない食材も、注目を浴びる可能性がある」と情報収集を欠かさない。その上で「自分で食べてみたい食材で、自分が食べてみたい料理にする。客に対して、例えば『この野菜どうだ?』と問い掛けるようなもの」という。
 父方、母方の親類とも、食材や料理に関係する仕事をする人が多かったことが影響した。その中で最も「自分に近い」と感じたのが千葉県の親類が店で出す中華料理だった。17歳の時、その店で働くようになったが「実家のある浪岡では(当時)食べられないような料理ばかり。衝撃だった」と振り返る。以後、数軒の店で中国料理一筋の修行を続けてきた。
 「修行していた時は、その店の料理を作りながらも『自分ならこうする』という思いを持ち続けてきた。そうすることが大事だと思った」と話す。現在、弘前市駅前町の中国料理店「豪華楼」で総料理長を務めるが、その立場になって初めて、心の中にため込んできたこの思いを爆発させることができた。「(スタッフは)みんな、対応するのに大変だっただろう」と気遣いながら、自分の中華料理を追求する毎日を送ることができる環境に感謝する。
 もちろん、自己満足で終わってはいけない。「自分が客ならこうしたらおいしいだろうな、楽しいだろうな、と置き換えて考えなければ」と話し「誰でも好き嫌いはある。でも、ちょっとしたきっかけで好きになることもある。そういう手の加え方ができれば」と。あくまで客の視点で、鍋を振る。
 総料理長として「継続」を重点に置く。現状を続けるのではなく、新発見を求める姿勢を持ち続け、進化していくという意味だ。

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