続々 まちネタ散歩!陸奥新報

 

初めての生き物発見=6

2014/11/17 月曜日

 

昭和31年に平賀町(当時)で発見されたと報じられたアメリカ・ザリガニ
弘前市新里で発見された石亀の卵とされるもの。本紙では鶏卵と比較している

 未知なるモノとの遭遇は、深い感動を生むし、自然界の不思議を実感させてくれる。
 という話で、まずは昭和三一年十二月に平賀町で発見された『本県では最初の種類』。原産地はアメリカ・ルイジアナ州で、昭和五年に動物学者の河野氏が手を尽くしてニューオリンズから移入したものの、百匹中生き残ったのはわずか二割。
 これまでは東京・神奈川・埼玉などの関東を中心に確認されていたが、先年に山形県で発見され、本県への伝搬経路は今後の課題!
 さぁて、なんだと思います、この生き物?実はアメリカ・ザリガニだったのですよぉ~
 『天ぷらなどにしても風味があり、料理に利用価値がある。現に石郷部落の人たちは食用にしている』けど、県内での飼育の可否やら害毒についての調査が行われるってさ。
 戦後に東京土産として持ち込まれたって話もあるらしいけど、天敵がいないということで、あっという間に各地で繁殖するんだね。
 続く外来種ネタは、三八年五月の『弘前公園 淡水魚の大敵出現 岩木川』と、なかなか刺激的であります。
 こりゃ学名をカムルチーといい、姿はナマズとドジョウを合わせたようでグロテスク。生きたエサしか食べない食いしん坊で、飛んでいる水鳥も襲撃!
 中国大陸などに住む雷魚がその正体で、来日は明治時代に食用として持ち込まれたんだって。戦前は仙台以北にいなかったという話だけど、二・三年前から公園の亀甲堀や西濠で見かけ、五十センチ超えの魚体が確認される始末。岩木川の水害で、飼われていたのが西濠に流れ込んだか?まぁ岩木川は水温が低いから、大繁殖はないって楽観論もチラホラ…
 続いて翌年十一月には、『本県では全く見られなかった石亀の卵が弘前市新里の平川で発見』のニュース。
 『長さ三五ミリのダ円形の白い卵を発見、割ってみたところ中から形をほとんど整えた亀の子が出てきたので「珍しい」とさっそく黒石高校生物研究室に寄贈』だって。担当教諭は『石亀は日本いたるところに分布しているが、本県でのせい息は初めて。今回発見された卵はおそらく本県最初のものだろう』と。
 自然科学も無知な分野だから、ホント判らない話で、亀がノソノソ歩いていた、なんて経験はないなぁ。亀は夜宮のミドリガメか、テレビで観るウミガメしか馴染みがなかったけど、白い石風の卵を探してみようぜぇ。
 でも割ってみたら、中身が整わずにキッチリしていなかった場合には、思いっきり怖い気がするのです…
(弘前市教育委員会理事・弘前図書館長 宮川慎一郎)

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箱入りまでの苦労話=7

2014/11/18 火曜日

 

リンゴ輸送にタルが用いられたことを示す写真
本紙連載「前進する地場産業」に掲載されたリンゴのダンボール箱
昭和25年の本紙に掲載されたリンゴ出荷業者の広告

 リンゴの輸送といえば、何の疑問も持たず木箱が当然!と思っていたのです。モミ殻のお布団にうずもれて、ふかふか、ぬくぬく。
 園地での山積みの状況やセリ市でだって、ちゃんとお行儀のよい箱入り姿だもんねぇ。
 二五年三月の青森県りんご株式会社の広告は、『まだ県内には四百万箱のリンゴが残っています…一箱七円の手数料で何から何まで親切迅速にお世話致します。…サア!この三月大馬力をかけて出荷しましょう』って。ほら、リンゴを数えるときの基本単位は「箱」。
 でも、青森りんご百年記念の特集に掲載の古写真は驚きの光景。『大正末期のタル詰め輸送 りんごが多量に販売されるようになってからは、輸送方法にタルが用いられた…ベニヤ板を曲げてつくったタル詰』なのです。
 へぇ、そうだったのかぁ~、リンゴ産地で育ちながら、まったく知りませんでした。
 …と思っていた矢先の二六年十月九日に、『初の俵詰め出荷 紅玉千七百貫大阪へ』。『箱木取不足で…農林省の希望により一貫、二貫…入りのダンボール(厚紙函)利用等が考慮されている折、十貫俵詰めは今年最初であり出荷成績を注目されている』だって!
 一七〇個の俵に詰められ、一俵は三七キロ余って、米俵の六割ならヒョイと持てる?
 厚紙函と説明付きのダンボール、二貫入りで七・五キロだよね。
 木箱の基準は二十キロだから、こりゃ、ご年輩の人には重すぎないのかね、お疲れさま。
 続いてもダンボール箱話題を探すとねぇ、三九年五月の『低調なリンゴのダンボール使用 木箱より不利な条件 荷くずれ、果実損傷で』がありました。ダンボールの使用は、三四年から上昇傾向というものの、一割にも満たないんだって。
 ミカンはすでに市場出荷のほぼ百パーセントだが、上場量の少ないダンボール箱のリンゴの適正価格を市場が算定できずに、苦戦続きの状況。ならばと、三九年度は総出荷量の二割を目指すわと、普及計画やら需要調整しますって。
 だから『前進する地場産業』って連載に、誘致のダンボール会社が登場するのかぁ。
『三十七年の需要額は八十万箱、三十八年は百二十万箱とかなり伸びてはいるが生産能力に合った需要が少ないのが致命的。…年間出荷量二千万箱のりんごをダンボールに換算すれば、コストから見て四億円が節約される』『大都会ではゴミ処理の容器にダンボール箱が引っ張りダコで、消費拡大と相まった一石二鳥の役割』。ふぅ文字通リ、下積みの時代があったのだねぇ。
(弘前市教育委員会理事・弘前図書館長 宮川慎一郎)

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広告…じっくり読むと=8

2014/11/19 水曜日

 

時代が変われば表現も変わる。あけび細工の講習広告
時代を感じさせるヨーグルトの広告
お笑い、お色気…、バラエティーに富む広告

 世相や風俗を垣間見る材料の一つが広告かと。…ならばチョイとつまんで、ご紹介。
 民工芸の無料講習という広告をご覧あれ。『「あけび竹細工科」を新設し、「無料」で補導…「男女三十名」(年令は問えません)ほど入所させる…補導所へお出でなさい』。
 職業訓練所というものなのでしょうが、なんとも「補導」という言葉にビビります。
 壊れたアケビ細工のカゴは、『補導生の教材』で修理しますと。
 「何してらの?」「わ、今日から補導生」って、チョイと言いにくいべよなぁ~
 お客様の興味や関心をいかにして引きつけるかって、大事なことでありますから、事前の話題作りも一工夫。
『懸賞募集! どの店名が良いでしょうか?白梅食堂・文化食堂・白牡丹食堂…』とは、二五年十月の広告。結果は、元寺町にあったように、文化食堂ね。
 この手法は、三一年十一月にも登場する。『小劇新舘名決る 弘前スカラ座』は、文化劇場やパレス、パール、ムービー、アポロなんてのも候補でしたが、断トツの人気でした。
 家計や家庭、更には『御台所を預る御婦人方へ 初冬に贈る森永トーゲン 懸賞付大サービス』は、甘味料の景品にお嫁入タンスや茶タンス鏡台のほかお酒一升などと豪華!
 冒頭、ご婦人方って呼び掛けているけど、なんだか再婚の斡旋?って思える品揃え。
 二七年師走の二一日という暮れの押し詰まった時期、この広告の隣にはスゴイ告知!『男児譲りたし』だよぉ。
『昭和二四、九、一二生』と、シンプルな説明に、なんとも怖さが倍増という思いです。
『夏のヨーグルトの召上り方一法』は、『坊やの健康とママの美容に』を合言葉に、三十年八月の紙面。当時の製法だと、培養直後に冷却して酸度を止めていたのですが、夏には放置しておくと発酵が進み、酸っぱくなる。
 そんなときに『冷たい水か氷を入れて六―八倍程にうすめ…お砂糖を適量入れますと、市販のカルピス又はヨーグルトン(ヨーグルトではありません)と同じおいしい飲物がたくさん出来ます』!
 ヨーグルトンってやつを、ぜひとも味わってみたいし、『食べる化粧品』なんて、いまじゃ書けないかなぁ?
 三一年七月の芸能欄『内容絶体保証付』と『絶對お楽しみ爆笑週間!』の文字が並ぶ。森繁の新入社員、満月狸合戦は「絶対」面白いだろうし、『御熱望に応えて! 陶酔甘美の桃泉境! 一流ストリッパー一行二十名!』なら、こりゃ間違いなく「絶体」だよなぁ~ひゃはっは!
(弘前市教育委員会理事・弘前図書館長 宮川慎一郎)

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まちなかの公衆電話やら=9

2014/11/20 木曜日

 

明治42年、開設当時の弘前電話局
昭和33年、かくは前に設置された新型電話ボックス
昭和33年刊行の「商工会議所五十年史」収録の写真。かくは宮川前の左側の通りに公衆電話ボックスが見えるが、新型と形状が異なる

 以前も触れた話題の続編、絶滅危ぐ種かとも思われそうなネタをチョイとご紹介っ!
 下土手町十文字、旧かくはの脇にあった電話ボックスは六角形。なら、市内に公衆電話が設置された順番は? そんな疑問に答えるのが、二五年四月の『公衆電話盗まる』記事。『一番町角はデパート前の二番の電話』なんだよ。…で、三番は上土手町の松木医院前というから、廣田医院。いまじゃガソリンスタンドですよぉ。四番は富田の国立弘前病院前でして、ここには今も電話ボックスが現存!
 五番目は銀座街、慈善館などのあった弘前の銀座街さぁ~。…で六番目は和徳町髙松酒店前とは、同年四月の『よろしく頼みます 公衆電話 二ヵ所に新設』で判明。当時は、二番から四番は盗難のために不通だっていうから、キビシイ現実!
 「最初の一番、公衆電話一番はどこなんだよぉ?」そんな声が聞こえてきそう…これはきっと、電話や料金箱が盗難から免れた弘前駅構内なんだろうな。
 でも、料金箱に正規料金の六割弱しか入っていないとは、誉められたモンじゃないねぇ~
 やがて電話ボックスの形も変わりまする。その先がけは、やっぱかくは前からってモンで、三三年七月のこと『天井が赤く、胴体がクリーム色、ハンドル(足)が黒という、丹頂電話ボックス』は『頑丈で、しかも見た目が美しい新型公衆電話ボックスをと、一般から広く懸賞募集…オール鉄製という丈夫なものだけに、これなら従来の木製に比べ破損も少いでしょうと大喜び』の、試験設置でした。
 十月二三日は「電信電話記念日」だから、それにちなんだ特集が組まれたんだよなぁ。三二年には弘前局最初の電話交換嬢の思い出話が掲載され、見出しは『お勤めは束髪、羽織』。六三人が応募して一二人が採用、九人が電話局に配属。一人で七〇件の加入者を受け持ち、電話が来ると番号札が前に落ちる仕組み。「何番?」と問いかけ、回線をつなぐとは『あんがいノンキ』。
 自動ダイヤル化を目前に、『ダイヤルになれば交換手さんの声も聞けなくなります。便利でしょうけど、淋しい気がします』って。
 三一年の十一月からの連載『女性の暮し』には『手を焼く乱暴なお客 楽しいモシモシ職場』見出しの談話。 『酔ってベロベロに宛先もいわず話す人、「話し中です」というのにドナリ散らす人』…こりゃぁ、典型的な津軽のオヤジだべぇ。相手が御ひいきの料理屋のお姉さまなら、先を越されちゃたまらんと、必死かもね。そうダイヤル式も絶滅ね。
(弘前市教育委員会理事・弘前図書館長 宮川慎一郎)

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娯楽の王様の危機!=10・完

2014/11/21 金曜日

 

刺激的な見出しが目を引く昭和36年のパチンコに関する話題
昭和30年には弘前市大町、代官町に相次いでパチンコ店が開店

 五所川原方面にいた高校時代の同級生は、「パチンコの話、力が入ってましたなぁ」と前の記事評。おだてに弱いから、この業界の話の追加であります。
 まずは三十年九月、市内の大町と代官町に相次いでお店が開店。その広告が一興かと。
 まずは二十日五時に開店の大町マルサンホールの場合、『椅子附パチンコ 明るい店舗で気軽に遊戯 スリル萬点最大のサービス』…で『女店員募集』。
 二二日一二時に開店の代官町キングは、『椅子附パチンコ 全国パチンコ界に旋風を巻き起こした新型機スリル万點(てん)』、『待望の健全娯楽 すわって気軽に楽しめる』。
 常に業界の先端を行く、『新案特許!ピンボール出現!』やっぱおらほのまぢは、いぃべっ、ハイカラだぇ~
 いまでは業界の中でこんな文字凸版の使い廻しはタブーなんだろうけど、当時の印刷原版は高価だったろう。
 まぁ、微妙に創意工夫があるのが可愛い!
 続く見出しは『業者はビクめく パチンコやるか、換金取締り』
 『かねてから「青森はパチンコの換金がハデなところ」と聞いていたので、一応換金取締りを打ち出したものの、今月一杯各警察署を巡視して、一線の警官とヒザをまじえて話し、この地方に適した対策を打ち出そう』とは、新任の本部長さんの第一声。これでビクめいた、って訳だぁ。
 風俗取締法施行条例という法律に、「客に提供した景品を買いとり、または買いとらせないこと」とあって、換金行為は法規違反なんだって。でも『全国的なもので、店内に公然とボックスをおいて換金しているところは少ないが、付近のテンプラ屋や、オデン屋、屋台などで換金している』と、充分に内偵済みというか、周知の事実。軽便な飲食店との共生、ナイス着眼!
 『警察側はいままで業者側の自粛を再三要望し、業者側も大ぴらには行わないという態度をとって、一人の逮捕者も出さずにきた…換金できないパチンコは興味がないというのが大半のパチンコファンの声でもある』ってさぁ、記者の素直すぎる感想だろうなぁ~
 当時検討された解決策の一つが大阪方式。『協会を組織して、会員に古物商の営業許可をとらせて、パチンコ店のひと隅に景品(タバコを除く)の買取り所を設け…景品はマーケットに売る』って。
 業界内で考え出したアイデアを、こんな形で報道したら、市民の温かい支援の輪が広がりそうねぇ~
 パチンコの換金で、出張員らを驚かすほど有名だった、三六年四月の話題でしたよっ。
(弘前市教育委員会理事・弘前図書館長 宮川慎一郎)

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