続々 まちネタ散歩!陸奥新報

 

2014/11/11 火曜日

 

  本紙記事などを拾い読みしながら、昭和の世相を振り返る「まちネタ散歩!陸奥新報」。連載の第3弾を10回にわたってスタートします。

∆ページの先頭へ

どぜうは津軽の淳四郎=1

 

津軽産ドジョウは東京で人気を博した
名産になったドジョウの記事
ドジョウ列車の見出し

 「駒形のどぜう」という言葉は浮んでも、津軽にやぁ縁遠いか?
 いまでは忘れ去られたか、隠れた名産品ってのが、江戸っ子好みのイメージの柳川鍋のヌシ様でござんす。
 なんと昭和三二年八月の『名産になったドジョウ 弘前 旧豊田村小山内氏の功績』で驚がくの事実が判明。
 そもそも、本県でのドジョウ養殖のはじまりは、昭和六年の八戸市の田名部正右衛門氏だとさ。愛知県安城の矢作川から持ち帰ったのが、同八年の水害によって自然放流され、八戸一帯に繁殖した。
 小山内淳四郎さんは十年に譲り受け「小比内ツヅミ」に放したところ、四年目には平川、五年目には岩木川を超えて西北・津軽一円に。
 元来、津軽には「クロ」「シナメロ」というのが住んでいたが、いまでは矢作川産が幅を利かせているとか。
 亜褐色で斑点のあるこのドジョウ、県内水面は放育者にちなみ、特に「淳四郎ドジョウ」と名付けたそうな。
 五所川原・金木・木造などから東京方面に大量に販売される「津軽産ドジョウ」の本家本元は弘前なんだぁ。
 この隆盛、三四年五月には『ドジョウ列車を計画 五能線 出荷日ごとに増』の見出しで、東京方面の食通になかなか好評。戦前並みに安く栄養たっぷりの柳川鍋ファンが増えたらしいってね。どの程度入っていたのかは不明ながら、四月の出荷が千七百カゴを超えて、出荷先は東京が千四百、大阪が五六、神奈川は四三カゴという実績。五能線管理所はドジョウ専門の貨物列車を二十日から運行!
 一大ブームは三九年の七月でも変わらなかったようで、『最盛期のドジョウ出荷 土用を前に注文殺到』よ。『りんごの袋かけ、水田の除草作業を終えた農家の人たちまでドジョウカゴを背に用水堰をあさっている…東京方面の料理店からドジョウの引き合いが殺到地元集荷業者の買い上げ価格の二割増しで引き取るのでかせぎもバカにならないというわけ』も凄まじいし遠く北海道までドジョウをとりに行った人も少なくない』んだと。
 『三・四キロ当たり六百円から良品ものだと六百五十円…五所川原駅頭から、ことし三月から六月末までの間に一包装十五キロ入りが二千百四十三個も出荷され、専用車で運ぶ盛況ぶり。…一日平均六十個、多い日で百個近くも出るので七月いっぱいでことし最高の二千個の出荷』らしいが、価格単位ちょい複雑!
 東京のどぜう、津軽の生まれだべって由緒だから老舗の浅草「駒形どぜう」の半数の従業員は、青森県人…なんて無関係かなぁ。
(弘前市教育委員会理事・弘前図書館長 宮川慎一郎)

∆ページの先頭へ

ご熱心な取材だが…=2

2014/11/12 水曜日

 

篤志家の育英事業を伝えた本紙に掲載された写真
普及が進むと報じられた弘前の食用バト
無線機代わりに―とバス会社に贈られた伝書バト

 隠れた善行や地道な献身…こんな話題を掘り起こして紹介するのも、大事なお役目!
 津軽地方の写真史や歯科医史はもちろん、津軽凧絵師伝にも関係のあるのが、黒石市に本拠を構えたH家。
 元来は駿河の国は小田原から移住し、歯科医師として秋田大館にも広く支店を出した工藤道生の娘ムコとして支援を得たという。やがて、黒石在住三十年を記念して、黒石市民への恩返しとして始めたのが育英事業。高校・大学生が対象で、大学生なら月に三千円の支給で返済義務はない!
 『三代も続けて奨学資金 貧しい人たちへ私財を投じ続ける』の見出しのインパクトは強いよなぁ~
 でも、武治さんの子どもを祥二じゃなくて祥治と報じたのは、襲名が意識にあったとしても、肝心の初代まで道正とはなぁ…
 篤志家のご一家は、名前の間違いなんて指摘しないのだろうが、ふつうの購読者ならばこのまま信じちゃう。
 こりゃ、三四年四月の記事でありまする。
 続いて「大丈夫かぁ」って思うのが、食用鳩の普及話題なのです。
 東京オリンピックの開催を見据えた三六年五月、『弘前でも普及進む 副業、趣味の一石二鳥』の見出しは、「皆さま、お乗り遅れの無いように…」と、猛烈勧誘かなぁ?
 『最近、全国的に食用バトの飼育が盛んになっている…一年中繁殖し、だいたい一年に十回ないし一二回産卵する。…市内では四軒で飼っている』だと。
 生産者の一人は、目標は百つがいを飼育って、大きな希望に向けて小屋を新築するようだが、果たして…
 弘前が「食用バト」の供給地として定着したとは思えないし、『日本食用バト協会がオリンピック大会で、外国選手の食卓を飾ろうと大量生産にのりだしている』は事実にしてもよ、堅実な利益とかは、肩入れし過ぎ?
 まぁこの記事だけで身上をハトに注ぎ込んだ津軽のオヤジがいたとは思えないけど…
 どうせ読むハトネタなら、この三年前の五月の『若バト五〇羽とどく 日本鳩通信協会弘南バスに贈る』が気楽ってもんよぉ~
 新緑の観光シーズンを迎え『無通信地区のバス運行で事故があった場合の連絡のため、同社では長距離の観光バスに五月中旬から伝書バトを乗務させ、早急に本社との連絡をとろうと計画を進め、すでに数回のテストでも上々の成績』という記事を見た、吉川協会理事長談『無線機の発達などにともない、だんだん伝書バトの生きた使い方をしなくなってきている折柄、これは非常に結構な計画』!
(弘前市教育委員会理事・弘前図書館長 宮川慎一郎)

∆ページの先頭へ

交通事情…あぶねぇ=3

2014/11/13 木曜日

 

和徳交差点に設置の信号機
当時は高価だった自転車取り付け型の配達機

 世の中は、訳も理由もあって変化するモンで、交通事情も同様。
 狭い道路の城下町にも、自動車が増え始めた昭和三〇年代、まだまだ車と人の対面交通に慣れない人ばかり。
 だから自動車の前を平気で横切るわ、信号機のある交差点で止まった自転車も、われ先に車の鼻先を右左折。
 昭和三三年七月、弘前大学が市内百一ヵ所で行った騒音調査は、約二〇カ所で車の警笛がうるさいと診断。
 警笛は雑音だけど、交差点での事故防止にはやむを得ず、と考え出されたのが「S・C運動」だとさぁ。一〇月二〇日の見出しには『無警笛進行は危険だS・C運動に早くも批判の声』だよぉ~
 県下に先駆けて行われた、交差点前で「プッ」って短く警笛を鳴らす、ショート・クラクションがその正体。
 やがて「警笛やめて徐行」なんて横断幕が市内を飾ります。
 土手町・代官町に初めて設置された自動信号機は、やがてかくはの前にも設けられ、三七年十一月には和徳町と松森町に取り付け、稼働は同月中旬から。弘前署では信号機の見方や、横断歩道について指導をしますって。当時は四十万円也!
 省エネライトのもので一七〇~二〇〇万円というのが、最近の相場。
 三五年十二月二十日から施行の県道路交通規則は、ソバ屋さんに深刻な影響を与えた!『片手出前まかりならぬ ソバ屋さんショック』『頭が痛い 自転車出前』とは、三六年五月の紙上を飾る見出しのいろいろ。
 車体に取り付ける配達機は一万円以上と高額で、『デコボコ道では汁がこぼれたり、混り合い食べる気がしなくなるなどの欠点』。定番コントのように、片手でザルソバを持って自転車に乗るのは、立派な規則違反だと。
 カバンや傘を持ちながらの片手運転って、やっぱりご法度のことで、ご注意あ~れぃ。
 『忘れられた右側通行 守らぬ学生、アベック』というのも、なかなか強烈なインパクトでありまして、ついに『悪質違反には罰金刑』というが、『最後の手段の前に歩行者の自粛を望んでいる』。
 みんなの安全を守るため、三六年七月に設置された横断歩道は八か所。時敏小学校前(現文化センター東)/弘前相互銀行本店前(みちのく銀行本店)/弘前公民商事前(西谷薬店)/かくはデパート前(菊池薬店)/駅前ニュース館前(ルートイン弘前駅前)/上土手町弘善商会前/旧警察署前(さくら大通り)/青銀和徳支店。でも、八月の紙上には『歩行者、押出しを食う 自動車優先の横断歩道』とは、キビシイ現実。
(弘前市教育委員会理事・弘前図書館長 宮川慎一郎)

∆ページの先頭へ

禅林の杉木立や赤門=4

2014/11/15 土曜日

 

往時の太郎杉
本紙で連載された「津軽の名木」
赤門の塗り替え工事

 禅林街ネタは欠かせませんねぇ~やっぱ。
 長勝寺の須藤きみさんから以前にお聞きした太郎・次郎の兄弟杉。いまでは公園三の丸の植物園南側に巨体を横たわらせ、緑の相談所に輪切りが展示されていますが、長勝寺が現在地に移転して来たときはすでに七百歳と。
 まぁ比類なき巨大杉ですが、弟分の次郎くんが先にご逝去され、孤軍奮闘の太郎くん。
 昭和二五年四月の記事は『現れたり緑の大敵 緑の週間異聞』。
 公園三の丸に野球場を建設する工事が始まり、ねぐらを追われたカラスが長勝寺や新寺町界隈に大挙の来襲。『樹齢五百年ないし六百年に及ぶ長勝寺前大杉をはじめ、三百年余といわれるもの百九十五本がそびえており、一大美観…が枯死寸前の危機?』だそうで。
 古写真で見る、約二百本の杉木立は壮観だけど、かつては桜花が咲き誇った時代もあったとか。でも花見客の賑わいが修行の妨げになるから植え替えた。
 二七年八月には『千年杉の大枝枯れて落つ続々枯死し樹下の通行は危険』という状況。
 樹齢は、年輪を数えるのが正確だろうが、中心が腐っていることが多いから、気合と根性で、切りよく千年!寿命説の一方、昭和七年に水源地から市内へ導水管を埋設した際、根っこを切ったのが原因なんて話も出た。
 長勝寺の中門前にある円形の囲いが、太郎杉くんの故地ですよ。そういえば二一年四月に曹洞宗宗務庁の指定壇林として、太平中学校と太平高校が開校。四三年の閉校後も、しばらくは、平屋の校舎があったよねぇ~
 「弘前には早稲田も青山も、赤門だってあるし、学習院もあったから、大学イモ発祥の地に名乗りを…」は、好きな与太話でして。長勝寺構の赤門、実は黒門だったって話も、須藤さんから聞いていたけど、記事を確認。
 三七年十月に『下寺通りから「赤門」通りに黒門を塗りかえ』を見っけたときには、ホント嬉しかったねぇ~
 長勝寺と宗徳寺を奥に据えた二つの通りの入口に、同様の黒門があるので『赤門にして「赤門通り」と改称することに衆議一決』。『もともと寺の門は赤いものであって、赤くすることはかえって喜ばしい』の談話付き。こんな改装話が忘れ去られると、何やらむかしから黒門と赤門があったなんて気分かぁ。
 現在の赤門は、規模も変わってしまい、まったくのおニュー。
 文化財指定の黒門も自動車がぶつかって、主要建築材がずいぶん取り換えられている訳で、工事車両などは、ご通行の際に車高やらもご注意くださいな。
(弘前市教育委員会理事・弘前図書館長 宮川慎一郎)

∆ページの先頭へ

さくら、だけじゃない=5

2014/11/16 日曜日

 

昭和29年、菊花展での櫻田市長
櫻田氏を紹介した記事
昭和26年、蓬莱橋の渡り初め

 櫻田清芽は、個人を「かじん」と読んだ。
 明治一八年生まれの旧藩士族のご長男で、弘前高等小学校で英語教師も経験。四三年に青森の陸奥日報に入社以来、昭和一四年に解散する株式会社弘前新聞の社長までの三〇年は、新聞人だった。
 その一方、大正十年で市会議員となり、昭和六年から県会議員。
 昭和二年の市会での質問にいわく「公園費の雑費に桜・ツツジ・カエデ等の植付費を計上しているが、桜が有名とはいえ一面に茂る松樹が公園の主命で、すこぶる風致を助長すると思うが、今年に松樹の費用を計上しない理由は」だって。
 翌三年、市会は内山覚弥翁に桜樹植樹の功績を讃えて賞状授与をするこの時期に、松に注目って、スゴイ!
 四期の県議を満期退職し、二六年から弘前市長に転身。同年五月一八日に『弘前城趾の史蹟指定 三十三カ寺南とうも包含』の見出しで、『全地域指定を申請 櫻田市長談』とは、津軽氏城跡の基本枠を決したものとして注目しましょっ。
 戦前来の建造物指定に加え、これまでは桜の名勝指定を模索していたけど、公園は桜の移植地なので困難との判断から、史跡指定を目指したんだねぇ~
 その結果が三一年十一月十一日の『史跡指定になった弘前城 鏡ヶ池や禅林なども』というわけで、同月三十日には『弘前公園の整備計画なる 郷土博物館など開設 モミジで秋も名所に』。
 二九年十一月の第一回弘前市民菊花展に訪れた櫻田市長、『豪勢な菊花展は弘前で初めてだナア、花もよそでは見る事が出来ない素晴らしいものだ』と感嘆し、来年からもっと盛大に開催しようとの意気込みを語った由。
 また、リンゴが当地にもたらされて八〇年の節目を迎えた三〇年九月に『思い出のりんご りんご祭に想う』と題して、弘前新聞の記者時代以来の思い出を語っている。
 明治四一年九月に東宮殿下は外崎嘉七の向陽園にお出かけされ、これを記念し、昭和六年にりんご祭を挙行。いまでは弘大の北溟寮になったけど、熊野奥照神社のご奉仕で九月二四日が式日だよっ。
 そういえば、二七年八月に陸奥新報社が開催したネプタ座談会。郷土史家の松野武雄や日本画家の成田太古らが語った折にも登場。『著名人で往年のネプタケンカに幅を利かせたのには、どんな人がありますか』の問いに『櫻田市長だ!あれは新寺町の事件だね』と一同、即答だもんな。
 お祭り好きで、ちゃかしな津軽のオヤジ、蓬莱橋って文字も揮ごうされるなど大活躍!
(弘前市教育委員会理事・弘前図書館長 宮川慎一郎)

∆ページの先頭へ

Page: 1 2

当サイトでは一部、Adobe Flash・PDFファイルを使用しております。閲覧にはAdobe Flash Player・Adobe Acrobat Readerが必要です。最新のプラグインはアドビ社のサイトより無料でダウンロード可能です。

  • Adobe Flash Player ダウンロードセンター
  • Adobe - Adobe Reader ダウンロード