鯵ケ沢町の「鯨餅」と浅虫温泉の「久慈良餅」。「鯨餅」には岩木山と西海岸、「久慈良餅」には湯ノ島や夏泊半島など、郷土の美しい風景が描かれている(中園裕撮影)
各地で作られている梅干菓子。左から弘前市の「干乃梅」、黒石市の「干梅」、五所川原市金木町の「甘露梅」(中園裕撮影)
バナナ最中(『青森の暮らし』401号、グラフ青森より転載)
色々な南部煎餅。津軽地方でも南部煎餅は作られている。南部煎餅には「三階の松」や「菊水紋」の模様が描かれることが多い(下段右2枚)

   ▽餅菓子 ~久慈良と鯨~
 青森県内には多数の郷土菓子が存在する。津軽地方で有名な餅菓子のくじら餅は、1918(大正7)年5月に開催された二市八郡菓子(あめ)品評会で注目された。餅菓子が土産品として携帯性や保存性に優れ、弁当の代用にみなされていたからだった。その時の出品概評で、浅虫温泉の永井源三郎(永井元祖久慈良餅本舗)が作った「久慈良餅」は、手軽で便利な餅菓子だと評価された。
 久慈良餅は1907(明治40)年頃、日露戦後の傷(しょう)痍(い)軍人らが転地療養のため浅虫温泉に滞在したことを契機に誕生した。これ以降「東北の熱海」と称された浅虫温泉の隆盛とともに、久慈良餅を作る菓子屋が増え、土産品として定着した。
 久慈良餅は、鯵ケ沢町の元祖「鯨餅」を作った中村家から製法を習得したものだった。同家の中村順助が作った鯨餅は「順助の鯨餅」と宣伝された。昭和初期には町内で鯨餅を販売する店が増え、町を訪れた人々は必ず鯨餅をお土産にしていた。
 注目すべきは、鯨餅が鳴沢村(現鯵ケ沢町)の山田野演習場の御用菓子であり、軍人らの間食用として納品されていたことである。鯨餅は比較的安価で日持ちがよく、固くなっても炙(あぶ)れば美味(おい)しかった。鯨餅は除隊土産としても人気だった。
 ▽梅干菓子 ~甘露梅・干梅・干乃梅~
 餡(あん)を求(ぎゅう)肥で包み紫蘇(しそ)の葉でくるんだ菓子は、津軽地方に広く見られる。近代では、金木町(現五所川原市)の虎屋「甘露梅」と、黒石町(現黒石市)の松葉堂まつむら「干梅」、弘前市の開雲堂「干乃梅」が著名であろう。いずれも炎暑で腐敗や味が劣化しないよう工夫を施された菓子である。そのため東京のデパートで開催される菓子陳列会や、札幌や小樽の県立物産館など県外へ出品されていた。
 虎屋の甘露梅は、1907年頃に創製された。菓子名を甘露梅と改めさせたのは、皇族から京都瑞龍寺の門跡となった村雲日栄尼だった。虎屋では、村雲御門御用達の看板を掲げ、京都瑞龍寺へ甘露梅を納品していた。現在、金木町内で複数の菓子屋が甘露梅を製造販売している。
 松葉堂まつむらの干梅は、1915(大正4)年に津軽地方で行われた陸軍特別大演習の際、宮内省(現宮内庁)が買い上げた逸品である。その後は、県当局を経由せずに宮内省へ直接納入されることになったという。
 1928(昭和3)年に行われた弘前名物選定の一つが、開雲堂の干乃梅である。選定では、簡易な製造法を公開することが要請されていた。干乃梅は市内多数の菓子屋で作られ、昭和戦前の弘前市における土産品の一つとなった。
 ▽バナナ最中
 バナナ最中は、弘前市富田のいなみや菓子店2代目である稲見與次郎が創製したものである。かつて弘前市の菓子屋では、その年の勅題にちなむ「新菓」を元旦に作る慣習があった。しかし、與次郎は新しいものを求めて上京した。1913(大正2)年、新橋駅から大阪方面の汽車内でバナナの芳香に魅了された彼は、大阪駅に着くと早速バナナを食べた。弘前市に帰った彼は、バナナの芳香と味を持つ菓子作りに励み、1916(大正5年)の元旦に新菓としてバナナ最中を発売した。現在、弘前市をはじめ津軽地方や秋田県北にバナナ最中が分布するのは、いなみや菓子店で修業した菓子職人たちが、各地域で独立開業したからである。
 他方、1916年に創業し、弘前市本町にある旭松堂の初代山本万次郎も、バナナの芳香と味覚に魅了された菓子職人だった。彼は昭和初期にバナナを再現する形でバナナ最中を作り販売した。
 近代の弘前市には第8師団が設置されていた。将兵たちはバナナ最中を弘前市当地の味として、次の赴任地に移ってからも注文した。それほど人気を集めた菓子だった。
 ▽南部煎餅
 菓子類は皇族や軍隊と関わって有名になったものが多い。これに対し南部煎餅は、県南地方や岩手県北の凶作や冷害を受けやすい地域で生まれた。
 1929(昭和4)年、八戸町の市制施行に伴い、南部煎餅は八戸市を代表する菓子として積極的に宣伝された。当初、南部煎餅の由来は坂上田村麻呂の兵糧食と紹介されていた。ところが1935(昭和10)年前後から、長慶天皇の伝説へと変化している。これは当時、八戸市や三戸郡内で長慶天皇や楠木正成、そして根城築城に関する数々の記念祭が挙行されたためだろう。南部煎餅の菊水紋は楠木正成を連想させたに違いない。
 南部煎餅は携帯性や保存性が高い。このため戦時体制の強化に伴い、陸軍の軍用食として採用された。携帯性や保存性に富むという土産物の特質が、軍の携帯食になったことは興味深い。この点は餅菓子に通じるものがあろう。
 ▽歴史と風土を味わえる
 青森県内の郷土菓子には、第8師団が存在しヤマセが強く吹き付ける凶作地帯であるなど、青森県の歴史や風土が大きく関わっている。郷土菓子というと、林檎(りんご)製菓子のように、地域の特産物を材料に用いた菓子を想起する。しかし、くじら餅や梅干菓子、バナナ最中などは、いずれも地域に密着し、特定の地域に分布して名前や形が特有である。そして相応の歴史を有する。南部煎餅には厳しい自然環境を克服してきた特徴も備わっている。郷土菓子は、郷土の歴史と風土が詰まった青森県にとって大切な菓子なのだ。
(青森県史編さん調査研究員・中園美穂)