写真1 津軽民俗の会が「砂子瀬民俗共同調査」を行ったころの集落=1951(昭和26)年8月・手塚勝治氏撮影、森山泰太郎氏所蔵アルバムより
写真2 ヤライにて、流し木を陸揚げする様子=1951(昭和26)年8月・手塚勝治氏撮影、森山泰太郎氏所蔵アルバムより
写真3 炭スゴを担いだ女性= 1951(昭和26)年8月・手塚勝治氏撮影、森山泰太郎氏所蔵アルバムより
写真4 屋外のかまど、煮釜と簡単な炊事場がある=1951(昭和26)年8月・櫻庭武則氏撮影、森山泰太郎氏所蔵アルバムより

 3月6日、本紙で「目屋ダム姿を消す」と、2016(平成28)年完成予定の津軽ダムの試験湛水(たんすい)に伴い、目屋ダムが沈んだことが報じられた。目屋ダムは1953 (昭和28)年に建設に着手、1960(昭和35)年に完成している。津軽平野を流れる岩木川流域の治水と利水を半世紀にわたって担ってきた。
 この目屋ダムには、砂子瀬というひとつの集落が沈んでいる。目屋ダム着工前の1951(昭和26)年8月、このダムに沈む村の生活文化を記録しようと大規模な調査が行われた。津軽民俗の会による砂子瀬民俗共同調査である。同会は、戦後の津軽地方における民俗研究の嚆矢(こうし)といわれる。
 同調査の詳細は会誌『津軽民俗』4号で報告され、その後、同調査で民俗班を担当した森山泰太郎氏、櫻庭武則氏、奈良広太郎氏らの連名で発表された『砂子瀬の話』(1953年刊、謄写版)、そして後年、森山氏によってまとめられた『砂子瀬物語』(1968年刊)は津軽地方の山村生活の記録としてだけではなく、日本民俗学における山村生活研究においても重要な資料として高い評価を受けている。砂子瀬は、津軽地方の民俗研究を志す者にとっては忘れ得ぬ村なのだ。
 筆者が事務局として編集に携わった『青森県史民俗編 資料津軽』(2014年刊)では、地域生活のさまざまな側面を新たな調査から明らかにするだけでなく、こうした津軽地方をフィールドに行われてきた民俗研究の歩みを明らかにしようと、過去の研究資料の収集や調査も行った。そこで、やはり重要な位置を占めたのが、津軽民俗の会、そして森山氏による調査であった。その中で、付録CDに収録された「砂子瀬民俗共同調査アルバム」から当時の砂子瀬の暮らしを写した写真を紹介しよう。
 ▽砂子瀬共同調査アルバム
 このアルバムは森山氏によって保管されてきたものである。先述の通り、1951年の夏8月1日~15日の合同調査、そして翌冬1月7日~13日、翌夏8月の順に、400点を超える写真が整理されている。その撮影者は手塚勝治氏、櫻庭氏との記述がある。『津軽民俗』4号では、手塚氏は「記録写真の難しさ」と題した記事を寄せ、「一箇の器物、一枚の仕事着にも村の生活を見せ、労働作業の背後に現れざる村の姿と伝統を撮らねばならぬ」と意気込みを記している。
 これらの写真は、砂子瀬の暮らしを視覚的に伝える貴重な資料だろう。『砂子瀬物語』をはじめ、同じく森山氏が執筆した『日本の民俗 青森』などに掲載された。管見の限りではあるが、初めに広く世に示されたのは調査当時1951年9月16日付の陸奥新報記事「砂子瀬民俗共同調査報告―調査団の行動記録―」だろう。写真2と、写真3によく似たカットの写真が掲載されている。
 写真2はヤライという仕掛けを使った流し木の様子。秋の間に伐木し、2月の堅雪のうちに運び出した薪(まき)材を、八十八夜が過ぎてから春の雪解け水の川に流す。この木材の陸揚げのため、流れに対して斜めに枠を設けて川水をせき止め片岸に導入する仕掛けである。
 写真3は、炭俵を担いだ若い女性。山中の炭小屋から炭を運ぶのは女性たちの仕事であった。1俵はおよそ15キロだというが、写真の女性は3俵背負っている。村から3里の山道を歩いて田代まで売りに行く。
 この乙女たちの姿は、西目屋村の民芸品目屋人形としても象(かたど)られ広く知られている。目屋の女性は、もんぺをはくのが上手で、マカナイ姿(仕事着の着こなし)が格好よかったため、もんぺ姿の女性を「目屋おなご」と呼んだという(『青森県史民俗編 資料津軽』)。
 ▽津軽ダム建設にかかる生活文化調査
 計画を上回る洪水と灌漑(かんがい)用水、河川環境の保全など新たな水需要への対応のため津軽ダムが計画され、1991(平成3)年度から建設事業に着手された。再度、砂子瀬と川原平の集落はダムに沈むことになった。津軽ダム工事事務所では、森山氏を委員長として「西目屋地域生活文化調査委員会」を設立し調査を進めてきた。その成果は『砂子瀬・川原平の記憶 津軽ダム西目屋地域生活文化調査報告書』(2005年刊)としてまとめられている。また、「写真で見る砂子瀬物語」展と題して、同アルバムの複製写真約360点が砂子瀬の砂川学習館で展示され、多くの人出を集めた。
 今でも、砂子瀬は人びとの耳目を集める存在だ。2012(平成24)年9月、弘前大学において「津軽の民話と風土―西目屋の山の暮らしから」と題する講演会が行われた(青森県民俗の会・弘前大学生涯学習教育研究センター主催)。砂子瀬出身の語り手による昔話を聞くため、集まった人びとの熱気に、“砂子瀬”への思い入れを感じたことが印象に残っている。
 『青森県史民俗編 資料津軽』には、このアルバムをはじめ、関係者の皆さまのご厚意により、先人の研究資料を収録することができた。森山氏に関連する資料としてもう1点、貴重な資料を収録した。自筆資料「津軽の海村」である。津軽半島沿岸の村々を歩き、1950(昭和25)年の夏に書き上げている。編さん時には山海に囲まれた津軽地方の暮らしや風俗を知らせてくれる豊かな資料群に圧倒される思いであった。これを読み解くことが、残されたわれわれの責務なのだろう。
(青森県史編さんグループ非常勤事務嘱託員 福島春那)