弘前駅前から代官町方面へと登校する学生たち 1950年代後半・中園裕提供
駅前を行くトテ馬車 1957(昭和32)年7月12日・佐々木直亮氏撮影・青森県立郷土館提供
駅前商店街のアーケード。現在のイトーヨーカドー前から弘前駅方面を望む。1968(昭和43)年11月26日・青森県史編さん資料
開発される前の大町地区 1957(昭和32)年7月・佐々木直亮氏撮影・青森県立郷土館提供

 ▽駅に集まる人々
 戦前の弘前市は、第8師団の関連施設が林立し「軍都」と称されていた。しかし青森市のように空襲で罹災することもなく戦後を迎えた。第8師団の跡地は弘前大学をはじめ、小学校や中学校の敷地として利用された。このため戦後の弘前市は「学都」と称された
 学都となってからの弘前市には、市外から弘前大学や弘前学院聖愛高校、柴田女子高校などへ通学する学生たちが集まった。多くの学生たちが鉄道を使うので、朝の弘前駅前は制服を着た学生たちで埋め尽くされた。
 弘前市の中心街は土手町通りにあり、官公庁は弘前公園の周辺にある。駅から歩くには少々遠い。このため駅からバスやタクシーを利用する人々も多かった。1959(昭和34)年からは、弘南バスが黒石市の市街地や虹の湖を経由し、十和田湖へと向かう遠距離バスを運行した。こうして駅前には人々の集まる空間ができたのである。
 戦後の一時期、駅前にはトテ馬車が走っていた。バスやタクシーなどが足早に走り抜ける中を、1頭の馬がゆっくりと車を曳(ひ)いて行く。新旧の風習や文化が同居していた高度経済成長前後の時代を象徴するような光景だ。
 高度経済成長は早さと効率を重視する社会だった。このためバスやタクシーの普及に伴い、トテ馬車の利用客は減少。1958(昭和33)年には5台にまで減っていた。しかし、その希少性から馬車は恰好(かっこう)の被写体だった。
 ここに掲載した写真は、弘前大学教授の佐々木直亮が県外から招いた教授たちと共に撮影したものだ。ちなみに佐々木教授も1954(昭和29)年に県外から赴任している。
 ▽「横のデパート」街
 弘前市の中心街である土手町通りは三つの商店街に分かれていた。こみせ風な屋根が並ぶ上土手町、市内で真っ先にアーケードを導入した中土手町、デパートを中心とした下土手町という具合に、互いの商店街は個性を競い合っていた。
 中土手町のアーケードは1965(昭和40)年に完成。6年後に下土手町のアーケードも完成した。当時アーケードは「横のデパート」と称され商店街振興の象徴だった。
 こうした土手町の繁栄を受けて、弘前駅前商店街振興組合は1966(昭和41)年からアーケードの建設に着手した。商店どうしの利害関係からアーケードの高さが揃(そろ)わず、途切れる場所もあったが、3期にわたる工事を経て1973(昭和48)年に完成した。駅前から代官町までをつなぐ「横のデパート」は、商店街の繁栄に一役買った。特に雪をしのげるアーケードは買い物客に好評だった。
 ▽自動車社会と都市計画
 全国各地の都市と同様に、弘前市でも高度経済成長を通じて、市街地の整備や郊外への宅地造成が進められた。これに拍車をかけたのが自家用車の普及だった。
 これまでの移動手段は歩行か自転車が中心で、遠距離への移動は鉄道とバスだった。ところが1970年代以降に自家用車が普及し、街並みにも影響が生じてきた。歩行者中心の道路に自動車が増え、交通事故が頻繁に起きた。街中に駐車場がないため、しばしば渋滞が生じた。1970年代以降に都市計画が促進された背景には、高度経済成長以前の街並みが自動車社会と相容れない、という実態があったのである。
 自家用車の普及と共に、東京に本社を持つ大手資本のショッピングセンターが地方都市に進出し出した。1976(昭和51)年、弘前市にもイトーヨーカドーが弘南バスのターミナルを併設して開店し、市の商工業界に衝撃を与えた。事実、下土手町の角は宮川デパートは打撃を受け、1978(昭和53)年に閉店。有名テナントを揃えたハイローザに取って代わった。
 地方都市に進出した大手のショッピングセンターは、地域の中心商店街よりも郊外へ店舗を設けた。かつては不便と思われた郊外も、消費者自身が自家用車を所有することで移動は容易となった。地価の安い郊外には、広い駐車場を備えた大型の建物が容易に建てられる。自家用車の普及と大手企業の郊外進出は相互補完関係にあったと言えよう。
 ▽変わりゆく駅前
 自動車社会の浸透と共に、闇市時代以来の街並みが残る駅前に対し、市民からの批判が高まった。この結果、1979(昭和54)年から都市計画の名の下に、弘前駅前地区土地区画整理事業が始まった。
 これ以後、駅前の区割りは大幅に変更され、駅前商店街のアーケードは撤去された。小売店舗中心の商店街は姿を消し、大規模なホテルやデパートが建ち並んだ。久しぶりに弘前駅前を訪ねた人が“迷子になった”と証言するほど、駅前周辺は大変貌を遂げた。
 中心商店街への集客策が叫ばれて久しい。だが近年、土手町通りの活性化事業は一定程度の成果を上げてきた。2013(平成25)年7月、駅前界隈にも弘前市駅前再開発ビルとしてHIRORO(ヒロロ)が開店。市内各地で新たな動きが見え始めている。
 そして現在、かつてアーケードがあった駅前商店街の北側(駅前2丁目界隈)が、再開発地区として大幅に変貌を遂げようとしている。変わりゆく弘前駅前の姿は、今後の都市計画を考える上で大事な鍵を握っているのだ。
(青森県史編さんグループ主幹 中園裕)