歩行者天国でにぎわう平賀駅前の商店街(1980年頃・青森県史編さん資料)
平賀駅の地下スーパー(1970年代後半・青森県史編さん資料)
開業した頃の南田温泉と屋外温泉プール (1972年頃・青森県史編さん資料)

 ▽僅か50年
 2006(平成18)年1月1日、平賀町と尾上町と碇ケ関村が合併して平川市が成立した。3町村での平賀町の印象はどうだろうか。碇ケ関村は藩政時代に関所を有し、近代以降も温泉保養地に位置づけられてきた。尾上町は庭園の町・蔵の町として知られ、近年町歩きも盛んだ。これに対し平賀町の印象は、今ひとつ薄いようである。
 平賀町は1955(昭和30)年3月1日、大光寺町・柏木町・尾崎村・町居村・竹館村の5町村が合併して成立した。これだけの町村が合併したのに、中世以来の「平賀郷」に因んだ町名に反対の声はなかった。歴史ある地名に納得し、共感する人々が多かったわけである。
 平成の大合併で平賀町は平川市となった。平賀町誕生以来、僅か50年余りの出来事だった。町の印象がとらえにくい背景として、改めて理解しておきたい事実である。
 ▽弘南鉄道が形成
 1927(昭和2)年9月7日、弘前~津軽尾上間に弘南鉄道が開通した。国鉄を別にすれば、陸奥鉄道・十和田鉄道に次ぐ県内で3番目の鉄道である。しかし、弘南鉄道は敗戦後間もない1948(昭和23)年7月1日、県内で初めて電化を実現している。そして2年後の7月1日には津軽尾上~黒石間を延伸。現在の弘南鉄道弘南線が完成した。
 弘南鉄道の創設者であり初代社長だった菊池武憲は、自らが所有する水田地帯に平賀駅を設置した。これ以後、飲食店や旅館・病院・商店等が建設され繁華街が形成された。平賀町の中心街は弘南鉄道が形成したといってよいだろう。
 ▽駅の地下スーパー
 1962(昭和37)年9月7日、弘南鉄道は開業35周年を迎えた。これを記念して平賀駅舎を新築。駅前に「栄え行く弘南の碑」を建てた。碑文には「交通の発達は文化を進め産業を興す」として、「沿線一帯の産業文化の振興に一層の貢献をなし来つた」弘南鉄道の歴史が刻まれた。
 新築の平賀駅は『陸奥新報』が「私鉄では東北一」と掲載したように、当時の県内各駅に比べて大きく立派だった。そして駅舎の中には、平賀農協と弘南鉄道が共同で経営する地下のスーパーマーケットが造られた。
 駅地下スーパーは品揃えが良く、雨や雪を避けられたので、当時の主婦層から圧倒的な支持を得ていた。床屋もあり、男性サラリーマンに重宝された。駅正面からすぐ地下に入れたから、通学の女子学生たちがパンやお菓子を買いに立ち寄った。彼女たちはスーパーを「駅の穴」と呼んでいた。
 こうして平賀町民に親しまれた駅地下スーパーだが、1986(昭和61)年に現在の駅舎が完成する前には姿を消した。スーパーは旧駅舎を象徴する存在だったのである。
 現駅舎の玄関前はタイル張りになっている。ところが、玄関左側に設置された郵便ポストの周辺だけ、なぜかタイルの色が違う。実は、この色違いのタイルこそが「駅の穴」だったのだ。平賀町民に親しまれた駅地下スーパーの貴重な遺構として記憶されたい。
 ▽新興温泉地
 平賀町には温泉施設が数多く存在する。大半が1962(昭和37)年以降に掘削した温泉である。平賀町は「新興温泉地」といえるだろう。
 1966(昭和41)年の唐竹温泉を筆頭に、翌年には大坊温泉(大坊保養センター)が落成。温泉付きの公民館として有名になった1972(昭和47)年7月には平賀アップルランド南田温泉が開業。大石武学流の庭園や屋外温泉プールを設け、レジャーランド的な施設として人気を集めた。
 このほか、鷹の羽温泉、柏木温泉、館田温泉、平賀観光温泉、新屋温泉、松崎温泉、からんころん温泉、花の湯、芦毛沢温泉、大光寺温泉など、10軒を越える温泉施設が次々に開業した。
 このほか、国道102号を十和田湖方面へ向かった山間に、温川温泉と切明温泉があった。どちらも黒石温泉郷として紹介され、秘境の温泉地として人気があったが、施設自体は平賀町内にあった。間近に流れる浅瀬石川の渓流は「天下の絶景」と称された。平賀町の貴重な財産が黒石温泉郷を支えていたことになろう。
 ▽間近に十和田湖
 5町村が合併して出来た平賀町だが、そのうち4町村はすべて西北部に集中し、いずれも面積は狭い。竹館村だけが南東へ大きく伸び、町内総面積の大半を占めている。竹館村は県内最初のリンゴ専門組合たる竹館産業組合が結成されたことで知られている。
 竹館村の最東部は間近に十和田湖が存在する。事実、平賀町の東端は十和田市と秋田県の小坂町に接し、1キロ余りで湖畔に達する。米とリンゴを中心に田園地帯の印象が強い平賀町だが、実際には町内の多くを山林が占めている。
 平賀町の広報を見ると、十和田湖の展望台として滝ノ沢と御鼻部山がたびたび紹介されている。滝ノ沢展望台は、1960(昭和35)年に建設された休憩所を、1971(昭和46)年に町が県の助成を得て鉄骨平家建てに改築したものだった。残念ながら今は撤去されている。
 これに対し御鼻部山の展望台は「十和田一番の展望台」として、かつては弘南バスのバス停があり、簡素な東屋があった。展望台は1965(昭和40)年8月の国立公園大会に、常陸宮夫妻が来県するため改築され、その後現在に至っている。
 平賀町の町名は50年で消えた。しかし黒石温泉郷の魅力を支え、十和田湖を間近に控える平賀町は、間口が広く、懐の深い町だったのである。
(青森県史編さんグループ主幹 中園裕)