東日本大震災がきっかけで、20年ほど前まで住んでいた石巻の人たちと、さまざまな形で交流するようになった。特にかつて勤めていた石巻西高の元生徒たちとは、FacebookやTwitterでつながるようになり、彼ら彼女らの日常がとても身近に感じられるようになってきている。彼らは40歳前後。世代的にも復興の中心的存在なので、中には、メディアに登場するようになった人物もいる。最近いろいろなところで目にするのは、「石巻工房」工房長の、千葉隆博君である。
 千葉君は、私が初めてクラス担任を持った時の生徒だった。石巻でも有名な寿司(すし)店「助六」の息子で、いろんなところでリーダーシップをいかんなく発揮した。校外学習のキャンプファイアーでは、クラスの出し物としての「劇」を企画し、絶句する担任の前で松明(たいまつ)を振り回して走り回った。なかなか元気な生徒だった。
 高校卒業後、彼は建築関係の仕事を希望し、そちらの方向に進学した。しかし、就職に際して、彼は父の寿司店を継ぐことを選び、寿司職人としての修行を積んだ上で、石巻に戻った。
 私は、弘前に来た後も、たまに石巻を訪ねる機会があると、彼の店に行ってみた。父の側(そば)で腕を上げた彼の握る寿司は美味(おい)しく、顔つきも体つきも堂々とした寿司職人に成長していった。何も起こらなければ、そのまま、腕の良い寿司屋としての人生を歩んだことだろうと思う。
 2年前の大震災で、彼の店があった商店街周辺は津波による甚大な被害を受けた。震災後に訪ねた時、彼は、店をたたんで、アメリカで寿司職人を続けることにしたと言っていた。しかし、なかなかビザがおりない。アメリカに移るまでの間、彼は「石巻工房」の仕事に参画した。「石巻工房」は、建築やプロダクトに関わるデザイナーたちが、地域のもの作りの場をつくろうと発足したものだった。彼は工房長となり、かつて学んだ知識を生かし、家具の生産に打ち込んだ。石巻工房のシンプルなデザインは、さまざまな方面から好評で、全国から注文が届くようになった。今年1月には「ログハウスマガジン・夢の丸太小屋に暮らす」で、インタビューを受けるようになった。それは、彼が高校時代に愛読していた雑誌だった。そしていまや、押しも押されもせぬ工房長として、日々の生産に打ち込んでいる。彼が高校のときに話し合った進路のことを思うと、感慨深いものがある。
 人生って、何がきっかけで、どういう方向に展開して行くか、わからないなあと、つくづく思う。雑誌やテレビの中で、元気にがんばる彼の姿を見て元担任としてはとても嬉(うれ)しい。そして、ますますの活躍を心から祈らずにはいられない。
(青森中央短期大学教授 北原かな子)