津軽産ドジョウは東京で人気を博した
名産になったドジョウの記事
ドジョウ列車の見出し

 「駒形のどぜう」という言葉は浮んでも、津軽にやぁ縁遠いか?
 いまでは忘れ去られたか、隠れた名産品ってのが、江戸っ子好みのイメージの柳川鍋のヌシ様でござんす。
 なんと昭和三二年八月の『名産になったドジョウ 弘前 旧豊田村小山内氏の功績』で驚がくの事実が判明。
 そもそも、本県でのドジョウ養殖のはじまりは、昭和六年の八戸市の田名部正右衛門氏だとさ。愛知県安城の矢作川から持ち帰ったのが、同八年の水害によって自然放流され、八戸一帯に繁殖した。
 小山内淳四郎さんは十年に譲り受け「小比内ツヅミ」に放したところ、四年目には平川、五年目には岩木川を超えて西北・津軽一円に。
 元来、津軽には「クロ」「シナメロ」というのが住んでいたが、いまでは矢作川産が幅を利かせているとか。
 亜褐色で斑点のあるこのドジョウ、県内水面は放育者にちなみ、特に「淳四郎ドジョウ」と名付けたそうな。
 五所川原・金木・木造などから東京方面に大量に販売される「津軽産ドジョウ」の本家本元は弘前なんだぁ。
 この隆盛、三四年五月には『ドジョウ列車を計画 五能線 出荷日ごとに増』の見出しで、東京方面の食通になかなか好評。戦前並みに安く栄養たっぷりの柳川鍋ファンが増えたらしいってね。どの程度入っていたのかは不明ながら、四月の出荷が千七百カゴを超えて、出荷先は東京が千四百、大阪が五六、神奈川は四三カゴという実績。五能線管理所はドジョウ専門の貨物列車を二十日から運行!
 一大ブームは三九年の七月でも変わらなかったようで、『最盛期のドジョウ出荷 土用を前に注文殺到』よ。『りんごの袋かけ、水田の除草作業を終えた農家の人たちまでドジョウカゴを背に用水堰をあさっている…東京方面の料理店からドジョウの引き合いが殺到地元集荷業者の買い上げ価格の二割増しで引き取るのでかせぎもバカにならないというわけ』も凄まじいし遠く北海道までドジョウをとりに行った人も少なくない』んだと。
 『三・四キロ当たり六百円から良品ものだと六百五十円…五所川原駅頭から、ことし三月から六月末までの間に一包装十五キロ入りが二千百四十三個も出荷され、専用車で運ぶ盛況ぶり。…一日平均六十個、多い日で百個近くも出るので七月いっぱいでことし最高の二千個の出荷』らしいが、価格単位ちょい複雑!
 東京のどぜう、津軽の生まれだべって由緒だから老舗の浅草「駒形どぜう」の半数の従業員は、青森県人…なんて無関係かなぁ。
(弘前市教育委員会理事・弘前図書館長 宮川慎一郎)